2022年08月23日

ボス展のカタログを読む 39  ボストンの祭壇画

Workshop_of_Jheronimus_Bosch_002.jpg

 ボストンの三連祭壇画
https://collections.mfa.org/objects/33502
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Ecce_Homo_Triptych

は、「工房作」とされている気のない平板な作品であるが、寄進者が特定されたということになっていて、年代がわりとはっきりしているということで、しばしば言及されている。

  ただ、1998年に Van Dijckが提唱し推定した寄進者は、本当に正しいのだろうか??
  プラドのボス特別展カタログの作品解説で、Eric de Bruyn は、従来のVan Dijkの説を紹介しながらも、疑問を呈している。
 当方も、一読して、どうもおかしいと思った。
 まず、内面左翼の男性がス ヘルトーヘンボスの有力者であるPeter Van OSだというが、彼の紋章は「『牛3個』で星なし」、である。ところがボストンの紋章の上部は「『牛1つ』で星一つ」である。後ろは聖ペテロだからPETERとペテロであってはいる。ところが、右翼の守護聖人はアレクサンドリアの聖カタリナであって、下にいるPeter VAN OSの妻のHenricxken van Langel とはあっていない。
 更に外翼(扉の外側)に描かれた家族について、Van Dijkは、妻の父母とその家族だと推定している。
  父はFranco van Langel。ところが背後の守護聖人は福音記者ヨハネであっていない。 母はHelwich  Henricke  van der Rullenであり、背後の守護聖人はマリア・マグダレーナまたはベタニアのマリアであるが、これも全然あっていない。

Peter van OSの息子の Peter van OS juniorのほうが妻はカテリナであり、紋章も近いそうなんで、まだしも、あっているように思う。息子だとすると、制作時代が20年ぐらい下るということになりそうである。
 そういう不定性があるし、あまり良い作品ともいえないので、これを基準作に使うのはいかがなものか?と思うところがある。
 もともと、この作品の中央画面が、ボスのフランクフルトの「エッケ・ホモ」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hieronymus_Bosch_-_Ecce_Homo_-_Google_Art_Project.jpg
によく似ていることから、この作品を「ボス工房作」と推定したのだろう。また聖母マリア兄弟会の徽章、模様が聖母マリア兄弟会の「白鳥と百合」である外翼の壁掛けが描かれていることが補強している。しかし、ス ヘルトーヘンボスには、本家のVan Aken家の工房が活動していたのだし、キリスト教図像は本家と共有しているものも多かっただろうから、この作品は、本家のVan Aken家工房の作品ではないだろうか?

 完全に実証されたプラドの「三賢王礼拝」の寄進者 Peeter Scheyfveと Agneese de Gramme,そして年代1494年ごろ、は基準にするべきものだと思うが、ボストンのほうは、まだまだ確実ではないのではないだろうか。

posted by 山科玲児 at 06:25| Comment(0) | 日記
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