ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン: 情動と優美のフランドル画家 単行本 – 2020/9/24
勁草書房
https://keisobiblio.com/2020/10/12/atogakitachiyomi_rogier/
勁草書房
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ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデンが1500年のローマ巡礼のときに、フラ・アンジェリコに合った可能性、というのが書いてありました。
確かに同世代ですし、70年ほどあとにデューラーがフランドルに旅したときも、マサイスやパテニールなど現地の画家たちと交流しているのですから、ありうることだと思います。
ただ、フラ・アンジェリコの伝記をみると、このとき、ローマからフィレンチェに戻っている。引っ越しの期間だった。1449年1月にはヴァチカンの住居にいて、1450年初めにはフィレンチェのサンマルコで仕事している。その間フィエゾーレにもいっているらしいので、すれ違った可能性もなきにしもあらずですね。
もう一つ、ロヒールはイタリアでは何語で話していたのでしょうか? ロヒールの母語はフランス語らしい、フラマン語も当然ある程度知っていたでしょう。でもイタリアではおそらく教会ラテン語を旅行会話的に喋っていたんじゃないかな?? 当時の知識階級の共通語ですし、宗教絵画を描くためにも最低限の知識はいるでしょう。フラ・アンジェリコは、教会ラテン語を日常使っていたはずですし。
ヤマザキ マリさんのリ・アルティジャーニ :ルネサンス画家職人伝 (とんぼの本) 2022/6/30のなかで、フラマン人のペトルス・クリストスがイタリアに来てカタコトみたいなしゃべり方をしていましたが、イタリア語なのか教会ラテン語なのかはわかりませんね。
ちょうどこの世代、この時代はイタリアで大画家が少ないようで、アンジェリコとドメニコ・ヴェネチアーノ、ウッチェルロぐらいしかおもいつかない。マサッチオはとっくに逝去しているし。ただ、フィリッポ・リッピはずっと若いとはいえ、ロヒールに似た作品がありますので、接触はあったのかなあ。