2022年09月04日

ベレンソンとムッソリーニ  続


2022年05月10日 ベレンソンとムッソリーニ  
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/189524252.html
で、
イタリア絵画研究で有名なユダヤ系の学者:バーナード・ベレンソン(1865-1959)が第二次世界大戦中、フィレンチェ郊外の邸宅で生活できたのは、なぜだろうか? 
という問題を考えたが、それ以来、すこしずつ資料を読んだ、、

この問題は、歴史修正主義を非難する教条主義的連合国史観のプロパガンタのせいで、わかりにくいものになっている、ようだ。

まず、1925年に英語で刊行したムッソリーニ伝 The Life of Benito Mussoliniの著者:Margherita Sarfatti(1880-1961)は父が後のローマ教皇ピオ10世と親友であり、後にイタリア王からKnight of the Order of the Crown of Italyの勲章を受けたという超上流のヴェネチアのユダヤ人だった。しかも彼女はムッソリーニの愛人の一人だとされている。この伝記はイタリアではDux(ドーチェ)という書名で刊行された。

ナチス・ドイツとの協力が強くなる1938年にMargherita Sarfattiはイタリアから南米へ移住している。58歳でもあったし、住みにくいと思ったのだろう。

 データはないが、ムッソリーニのファシスト党にはユダヤ人メンバーも多かったらしい。実際彼女もそうだっただろう。ナチス・ドイツ軍がイタリアの一部を占領したような形になった時代はともかくとして、一部のプロパガンタで、ムッソリーニに無理に反ユダヤ主義をなすりつける言説があるが、要注意である。

posted by 山科玲児 at 06:42| Comment(0) | 日記
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