2022年09月17日

絵の大きさ

BruggeGruuthuuse.jpg


  プラドで「快楽の園」をみたとき、印象的だったのは、その高さ大きさである。
 やはり、これは実物に接してはじめて実感したものだ。
 すぐ近くに展示されていたリスボンの「聖アントニウスの誘惑」やプラドの「三賢王礼拝」よりずっと大きい。
 これは、普通の住宅にはとうていおけない大きさである。
 そして、当時の貴族でもかなり財力権力のあった貴族でないと注文できなかった大きさだと思う。
 例えば、ブリュージュの事実上の支配者であった ルイ・グリュートヒューゼ(金羊毛騎士団のメンバー)の館(イメージ 当方撮影)は、現存し、博物館になっているが、天井の高さ、入り口の大きさなどをみると、ここでは、おそらく「快楽の園」は展示観賞できない。ぎりぎりできたとしても、かなり無理がある。
 教会の大広間は天井が高く入り口も大きいから大丈夫だが、居住用の邸宅は、それほどは大きくない。
 ネーデルラント総督 マリー・ダングロワのピシェの城の大広間はそうとう天井も高く大きかったようだが、ブリュージュの貴族クラスでは、この程度である。というより天井の高い部屋は暖房効率が悪いから、住みにくいと思う。

 「快楽の園」は1517年7月30日には、ブリュッセルのクーデンベルク宮にあった。当時のクーデンベルク宮の建築は失われ、今、その場所にはベルギー王宮が建っている。したがって1517年当時の部屋の大きさを想像できないが、おそらく、最低でも、現在のルーブル美術館の古い部分の天井の高い部屋ぐらいの大きさの部屋だっただろう。 ルーブルのあのギリシャ彫刻が並ぶあたりは18世紀ぐらいだと思うが、天井は高く天井画もある空間だ。こういう部屋でないと、「快楽の園」は展示できないだろう。ちなみにシエナのキージ・サラチーニ宮は豪華だが部屋の大きさはそれほどでもないから、やはり無理。まあ、今のベルギー王宮の大広間なら18世紀風だからOKだと思うが。
  この大きさを考えると、どう考えても、秘密結社セクトの秘密礼拝に使われた絵画という設定は難しいと思う。



posted by 山科玲児 at 07:38| Comment(0) | 日記
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