2022年09月23日

エクフラシス

Sandro_Botticelli Calumny  Apelles.jpg


2022年09月22日
古典絵画の解説文
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/189825391.html
で書いたように、
  カラー写真図版をみればわかることを、文章でクドクド説明してしまうというのは、一種の悪弊らしい。 
 しかし、その一方、絵画を言葉で描写し説明するという文学分野が古代からある。
  エクフラシス
とかいうものらしい。 

 これを使って、原作そのものが消滅してしまっている古代絵画を再現するという 試みが
ルネッサンス時代には何度も行われている、代表的なものに、
 ボッテチェルリの「誹謗」ApellesのCalumny(イメージ) これは、ヘレニズム時代の有名画家アペレースの作品を
 ルキアノスが エクフラシスで表現した文章からボッテチェリ流に再現したものだ。
当方がウフィッティにいったときはなぜか展示されてなかった。


また、ティティアーノが、古代ギリシアの著述家フィロストラトスが『エイコネス』の中で述べているエクフラシスをもとに再現したものが
 ヴィーナスへの奉献
で、これは、ルーベンスも制作している。

まあ、エクフラシスがなければ完全に消滅していたのだから、まあ無いよりまし、であるが、画風は、やはりそうとう違ったものにならざるをえない。

エクフラシスによって想像する古代絵画史というのは、どうしても、絵のない絵画史になってしまう。
これは、戦前やっていた唐以前の中国古代絵画史が「絵のない絵画史」「文献だけの絵画史」だったのと似ている。その後、だんだん考古学による発掘品によって補完はされているが、有名画家の作品はまず考古学では発見されていないので、概略を推察する助けにはなっているという程度だ。ただ、それでも現在の中国古代絵画史は、戦前の歴史文献と偽物だけの中国古代絵画史よりは、はるかに良くなっている。

 それはともかく、エクフラシスは、修辞学(レトリック)の一部として生き続けた。
欧米の古い美術文献に、絵画のカラー写真をみればわかることをクドクドと述べるという習慣があるとしたら、、単に良い写真図版が本に収録印刷できなかったという事情だけでなく、エクフラシスの影響があるかもしれない。エクフラシスの19世紀での輝かしい成果と思われるのが、ジョリ・カルル・ユイスマンスの散文である。

posted by 山科玲児 at 09:20| Comment(0) | 日記
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