ルネサンス後期の音楽家作曲家
パレストリーナは十九世紀から既に有名であった。
ただ、柴田南雄先生の本では、、
ジョヴァンニ・ピエルルイージが名前であり、パレストリーナは出身地に過ぎないと
書いてあった。じゃ、「ジョヴァンニ・ピエルルイージ」と呼ぶべきで「パレストリーナ」なんてのは俗称だとずっと侮っていたものだ。
今回、パレストリーナのCD、しかもイタリアの団体によるもの、を複数買ったのを機会に、図書館から
リーノ・ビヤンキ, パレストリーナ その生涯、 2000/9/4、 カワイ出版
という浩瀚な本を借りてきてみた。
まだ精読はしていないのだが、とばし読みしただけでも発見があった。
当時の手紙や公文書が多数引用されているのだが、ほとんどがパレストリーナ(または、スペルが違った同類語)あるいはジョヴァンニ・ダ・パレストリーナであり、ピエルルイージは殆どでてこない。
そうなると、現在の慣行名のパレストリーナで誤用とはいえないようだ。
その点、レオナルド・ダ・ヴィンチの場合とは全く違う。ダヴィンチなどという呼び方は当時、ほとんど無い。レオナルドだけである。