「気がつく」 ということと「立証する」ということは違う。
中田勇次郎『王羲之を中心とする法帖の研究』第四版(二玄社、一九七五年)(上イメージ)
51Pの法書要録のリストの中に、秋萩帖王羲之臨書23行〜31行と共通部分を持つ帖があることが指摘されている。
となると、中田先生も気づいていたのだろうが、このことと同書の第4章2節「傳藤原行成臨王右軍尺牘」の記述とは矛盾している。改版の際に入れた追加だったのかもしれない。
土屋聡氏の論文
土屋 聡 「「秋萩帖」所収王羲之尺牘十一通について」『国立歴史民俗博物館研究報告』第一九八集( 国立歴史民俗博物館 二〇一五年)
https://core.ac.uk/download/pdf/294898164.pdf
は、徹底的に是を検討し立証したものである。
気づくことも大事だけれど、「立証する」ことも重要だ。