Robert Brun, Libres Francais P.U.F. 1968
は表紙のアンドレ・ドランのラブレー本挿し絵が楽しい本ではある。
「フランスの本」というタイトルであるが、実は終始、印刷本の歴史の話である。インキュナブラから二〇世紀までである。写本のことはほとんど言及がない。
冒頭の序文に「印刷術こそが文明の証」というような拡張高い文章が展開されている。
ただ、東洋の印刷術のことも考えてみたり、グーテンベルクの聖書が、写本時代の豪華な大型聖書の模倣であったことを考えると、
本当にそうなんだろうか?
という疑義がわいてくる。
大全集みたいな大規模な本や四書五経のセットなどは、正本、基準本として配られたという目的があったのではないか。度量衡の標準器を配るようなものである。
印刷本の場合、一度に印刷したセットは皆同じであり、過ちもまた同じであり、一度に制作したXX部で相互に違いがあるということは、写本に比べて著しく起こりにくいからである。
したがって 古い写本で、正しい印刷本から写した、なんて奥書があるのも少なくない。
江戸時代には、貴重希少な書物の写本はともかく、ありきたりの教科書なんかは、写本のほうが印刷本より安かったのではなかろうか。
実は昭和ごろまで、教科書を写したり抜き書きして学ぶというような学習習慣が一部には残っていた。