2023年04月27日

羅振玉自伝

羅振玉P1060514.JPG

羅振玉 遺影(ref)
羅振玉自伝
とにかく、前半はひたすら借金のことであり、若いころから、金に苦労した人であることがわかる。

後年、金に汚いようにいわれたのもそういう労苦が、
反映しているのではなかろうか??
あとについてる扶桑両月記、扶桑再遊記、五十日夢痕記という3篇には、文物の集散売買、保存などについて、多くの有名人がでてきて非常に興味深い記述がある。

羅振玉が偽物を売ったという非難は、誹謗中傷とはいえなくても、当時の環境を考えると2つの面で情状酌量の余地はあるのではなかろうか?

・「売った」ということでは、当時、羅は日本に家族や弟子とともにきたのであり、二十人という大所帯だった。しかも文物の売りくい、が主要な収入源だった。

・「偽物」という件では、当時の中国書画 拓本法帖の鑑定・美術史研究のレベルを考えると、それほどひどいわけでもない。本物も売っているし、現在では「偽物」「間違い」といったほうがいいものも売っている。羅振玉の場合、自分で跋や題を書いて称賛評価した証拠を残してしまっているので、目立ってしまった、ということがあるだろう。


羅振玉の場合、一番有名なまちがいは、澄清堂帖の拓本を讃岐の大西行禮氏に売ったときだろう。戦前から、疑問におもわれ、現在では、清、道光年間の重刻本であるとわかっているものを
「南唐 澄清堂帖」と称し、長文の賛美する をつけて高価に売った。
大西氏は喜んで、自らを帖祖斎と号し、、豪華な複製本まで作った。

これは、いただけない、、

一方、日本にある羅振玉の手をへた名品には、台東区書道博物館にある「張遷碑」拓本がある。これは、たぶん世界でも一番良い拓本である。

Ref 書えん 4巻9号、1940、8月、三省堂、東京
posted by 山科玲児 at 07:37| Comment(0) | 日記
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