
北京故宮博物院200選展が盛況のようだが、2010年11月5日にも、あげた、日本軍管理下の故宮博物院という問題 は、あまりにも深刻なタブーのようだから、もう一回あげてみる。こういうことこそ、朝日新聞政治記者の方がルポルタージュするべきテーマではなかろうか?
イメージ(上)の奥付をみてほしい。「国立北平故宮博物院印行」「民国二十八年十月初版」となっている。何かおかしいと思わないだろうか??
民国28年は1939年、故宮博物院は所蔵品を荷造りして重慶に避難してしまっていたはずである。
公式には、この時点では北平(北京)には故宮博物院という組織はなかったはずである。いったいどこの誰が出版したのだろう。
イメージ(下)はもっとすごくて「民国三十年十月出版」である。
これらは、一応宣紙のような白紙に印刷された大判の線装本で、結構立派な本である。
素直に考えれば、当時の北京で建物としての紫禁城を管理清掃し、書画の複製や絵葉書などを出版していた「故宮博物院」という組織があったと想像するのが一番理にかなっている。
それは、日本の傀儡政権 中華民国臨時政府 の一部であったので、できるだけ誰も触れようとしなくなり、当事者すら隠蔽してしまったのだろうと思う。
実のところ、これらの書画は皆、現 北京故宮博物院に所蔵されている。故宮博物院南遷の話などで、色々な事情で北京に残してしまった書画というのが結構あるが、重慶避難のときもやはりあったのではないだろうか、日本敗戦と台湾避難の間はあまりに短く、充分な整理時間があったとは信じられないので、北京「故宮博物院」が管理していた書画文物はそのまま北京に残ったのではないか?と思う。
そのために、上記奥付がある劇跡は、現:北京故宮博物院 に収蔵されているのである。実のところ、以前は、これらは、一度満州国ラストエンペラー溥儀が持ち出したもので、満州国崩壊後、没収されて北京に逆戻りしたものではないか?と思っていたが、どうもそうでない、ずっと北京にあったと考えるほうがいいようだ。
当時、北京で故宮を守っていた人々は「漢奸」「日本の手先」の誹りを免れるためそういう事情を隠してしまっただろうが、そういう人々にこそ、現在の北京故宮博物院は感謝すべきはずだ。絶対しないだろうと、容易に想像できるところがつらい。
それに、日本軍が北京で故宮の所蔵品を略奪なんて全くやっていないこと、むしろよく管理していたことがばれるのを嫌っているということもあるのかもしれない。