人間というのはあまり進歩しないというか、あまり好みは変わらず、昔感動したものをより深く観賞するようになる、というだけなのかもしれない、と思ったものだった。1987年に新宿伊勢丹で「バーン・ジョーンズとその周辺」というデパート展があり、そのときに 眠り姫の次女のグアッシュ六点と「ランスロットの眠り」をみて強い印象を受けた。それらを観に神戸までいったようなものだ。
バーン・ジョーンズ展
http://www.artm.pref.hyogo.jp/diary/t1209/index.html
ランスロットは、しっかり観るとまことに不思議な絵で第一の傑作であろう。ただ、写真うつりが非常に悪く、よい色再現をした図版はひとつもない。
まず変なのはランスロットの足が眠っているのに直線であることだ。そして胸から足までがハイライトされているせいかランスロットだけ切り抜いて貼りつけたように浮いている。
そしてランスロットの眠る土地自体が傾き、手前にむかってなだれおちているようにもみえる。
天使は建物にたいしてむやみに大きく、ゴシック建築の壁にはりついた彫像円柱のようである。変なのは表情と手の動作が「あらっ というような意外をしめすもので、神の言葉や裁きを伝える態度ではない。これは他の西洋絵画の受胎告知のガブリエルなどと比較すればすぐわかることだ。物語と矛盾しているのだ。天使がでてくる建物も著しく不合理である。2Fがやけに低い、天使のすぐ右に四角い木材の柱が画面の上まであるが、これが玄関の縁なら残りの建物にどうつながるのかわからなくなってしまう。
奥の城壁に下が池か堀のようになっているのも不安定さをかんじさせる。
更に不安を誘うのが画面の中心にある盾を抱く枯れ木である。この記はまるでニョキニョキ生えてきて盾をもちあげて包んでいるようにみえるのだが、枯れ木である。いったい枯れ木が成長するのか、成長したあと枯れ木になったとしたらランスロットは何カ月寝ていたのか?
このようなM.C.エッシャーのような不安な要素に満ちていて、背景は濃い霧がただよう英国の暗い森である。
イタリア十五世紀の画家ピサルネロのデッサンをもとにしたような左端の馬と井戸だけは堅固な実在漢があり、画面をひきしめている。