シノワズリーの小説を書いていた女流の真樹操さんの短編小説に烏鷺庵筆記というのがある。
左のアンソロジー「チャイナ・ドリーム―中国夢幻譚〈2〉」に収録。
そこに「永暦39年」という年号が、存在しない年代として(台湾鄭氏での使用も37年まで)、最終節の味付けにでてくるのだが、実は永暦39年を使用していただろう人々がいる。
日本に亡命していた明の遺民たちである。たとえば朱舜水などがそうだろう。長崎の中国人町ではよく使われていたのではないか? 辛亥革命後日本に逃げた羅振玉はよく宣統の年号を使っていた。
清末にも、日本は辛亥革命の策源地であった。清初にも多くの遺民が日本に逃げ、徳川幕府に援軍を要請したりしている。
どうも、革命策源地、不穏分子の逃亡先として北京政府は日本をみている点もあるのではないか?