中華民国時代に、碑帖拓本や書画のコロタイプ影印本を出したいた出版社のなかに「文明書局」ってのがある(イメージ)。イメージをみてもわかるように中華書局と関連があって、後に合併した。活字の感じが、後の中華書局の本とよく似ている。
コロタイプ印刷を日本で学んだ趙という人がいて、中国で最初にコロタイプをやった会社らしい。
主力商品は教科書だったようだ。
この文明書局を作った三人の一人が、廉泉という人だ。康有為と仲が良かった人で、中華民国時代には故宮博物院の役職もやっている。この人の奥さんが革命家 秋瑾を埋葬して官憲ににらまれた呉芝エイという人なんで、ただものではない。
まあ、康有為も羅振玉も日本に亡命しているしなあ、、日本は中国革命の保護者だったんだが、保護しないで植民地状態を放置しとけばよかったのかもしれない。廉泉も 中華民国軍閥政府がいやになったのか、コレクションの売却を考えたのか、官職を辞職したあと日本に長期滞在している。
日本の書道界では 澄清堂帖 廉泉本というので記憶している人がいるかもしれない。この澄清堂帖の影印本が、なぜ文明書局からでているのかわかった。また、なぜか神戸の扇面館からもでているのだが、実は廉泉は神戸に3年ほど住んでいて、コレクションを日本で展示販売していた。扇面の大規模なコレクションをみせている展示施設があって、それが扇面館だったんだな、
神戸華僑歴史博物館 のサイトに解説があった。ネットはありがたいものだ。
http://www16.ocn.ne.jp/~ochm1979/tenjibutu.html
これで、廉泉本の澄清堂帖に犬養毅や松方正義の題記がある事情もわかったような気がする。
ちなみに、この廉泉の小萬柳堂コレクションが日本に流れたために、清代の画家:王献章の絵が日本に多いのだそうだ。