丁丑劫余印存という大きな印譜は、丁丑こと1937年に第二次上海事変が起こり、日中戦争が揚子江地域に大きく拡大したとき、主に杭州にいた四人の古印の収集家が戦火を避けて上海に集まって印譜を作ったものである。
収録されているのは、明清時代の有名な篆刻家の作品だけで、質が良く、高い評価を得ている。21部しかつくられなかったので、影印本も何度かでている。
それはいいとして、気になるのは、なぜ上海か?ということだ。第二次上海事変では上海で大規模な戦闘が起きたわけで、事実上、日本軍の統制下にあったはずだ。実際、商務印書館近くで戦闘になり、四部叢刊関係の古書が大被害にあっている。
たぶん四人が避難したのは共同租界かフランス租界だったのだろう。
一応、日本軍からは独立した島のようなところだが、日本軍の影響はもちろんある。
もし、抗日・愛国なら、なんで重慶方面の「大後方」や、香港へいかなかったのだろうか?
「丁丑劫余」というところに「抗日・愛国」の意味をもたせたい人々もいるだろうが、実際は、戦火を避けたというだけではないか、と思うのだ。
魯迅も書いているように、当時の富豪が租界に引退して贅沢な晩年を送るというのは、よくみられた生活スタイルだったらしい。
2013年05月21日
丁丑劫余印存の不思議
posted by 山科玲児 at 10:19| Comment(0)
| 2013年日記
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