2013年12月01日

リュリとマザラン


 耳につくという言いまわしがある。ジャン=バティスト=リュリ(1632-1687)作曲のオペラ「アッティス」の終わり頃のコーラス

Atys
 https://youtu.be/QZjJeb6MPtU?list=RDQZjJeb6MPtU&t=10041
 2時間52分ごろから8分間

が まさにそうで、頭にくりかえし甦ってくる、リピート わりこみ の類である。アッティスの場合、主人公アッティスがあまりに身勝手なので死んでもなんとなく当然 奇妙でないような台本になっている。だからこそ このコーラスが崇高な感じを与えるのだ、この音楽は技巧的ではなく、むしろ 柴田南雄先生がかって述べたように「素朴で力強い」もので、ヘンデルのオラトリオを思わせるものがある、

 リュリの伝記は 成り上がり 陰謀 貪欲 大富豪なみの蓄財  暗殺疑惑 毒殺疑惑 漁色 男色 と悪役の限りを尽くしている。最後に王の小姓に手を出して失脚しそうになる。 不貞の妻を殺したジェズアルドや、少年歌手を強姦してガレー船送りになったゴンベールなんか、悪役としちゃかすんでしまうぐらいである。
ただ、彼の前半生には、どうも不審なところが多い。

 想像するに、当時イタリア人枢機卿でフランス宰相だったマザランが 自分の腹心の一人として、若いルイ14世の側近にもぐりこませた一人だったのではないか。
 ヘンデルもハーノバー家の密偵として英国アン女王の宮廷にとりいったという疑惑もあるくらいだから、下記の不思議なことを解釈するには そう考えるほうがいいように思う。

1. フィレンテェのの貧しい粉挽き屋の息子 という出身がうさんくさい。フランシスコ会修道院で教育を受けてぬきんでた才能を発揮し美貌だったとしても、それだけで、門地・身分を重視する当時の社会で、王の従姉妹のそばにもぐりこめたとは信じられない。

2. 王の従姉妹 モンパシエ公女の イタリア語のあいて としてフランスに連れてきたというのも嘘くさい。
 当時モンパシエ公女は20歳、リュリは16歳、普通なら、イタリア語のあいてならイタリア貴族の子女か修道女を選ぶだろう。修道女というのは、当時庶民で女性が高等教育をうける機会は修道院ぐらいだったからだ。いくらなんでも若いたぶん美少年だったリュリを雇うなんて信じられないね。仮に連れてきても記録に残さないだろう。

 やはり、マザランは枢機卿で修道院にも顔がきいたので、優秀な子供を抜擢して若いルイ14世の周囲に 腹心・スパイ・草 としておくりこんだんじゃないのかなあ。
posted by 山科玲児 at 10:23| Comment(0) | 2013年日記
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