蘇軾 酔翁亭記の碑(明時代に再建されたもの)が実は文化大革命中に壊されたのを日本軍のせいにしていたという話を読んで、日中戦争時代の文物破壊についていろいろ調べてみた。
まず、よくいわれるのが第2次上海事変の激戦中に商務印書館と東方図書館が戦火にあって破壊されて貴重な古書が焼失したという事件である。これは本当だが、100%は本当ではない。張元済は、実は貴重書500余部を銀行に預けてあったので、最も貴重な部分は被害にあっていない(ref は鄭偉章・李万健 中国著名蔵書家伝略 書物文献出版社、北京、 1986 以下もだいたいこの中華人民共和国で書かれた本を資料にしているから、あまり日本よりの偏見ははいらないだろうと思う。)。そうはいっても、これはやはり破壊には違いない。商務印書館が上海の中心にあり最前線に近いといってもやはり破壊であろう。
本は他の文物に比べて体積重量とも大きい上、水にも火にも弱いので、避難がなかなか難しいことが多い。土中に埋めておくわけにもいかないのだ。第2次世界大戦の欧州、東京大空襲他の日本の都市空襲、関東大震災などでも膨大な書籍が焼失している。例えば河井荃廬邸の爆撃だけでも、どれだけの文物・孤本が消滅したか眼もくらむばかりだ。
清末に有名だった蔵書は、杭州の丁氏八千巻楼、山東省の楊氏海源閣、テキ氏鉄琴銅剣楼、陸心源の二百宋楼、などがあるが、その後どうなったか?
杭州の丁氏八千巻楼、−>江南図書館
山東省の楊氏海源閣−> 1926年土匪に荒らされて荒廃、そのうち五十箱ほどを天津租界に避難 売却
テキ氏鉄琴銅剣楼−> 北京図書館
陸心源の二百宋楼 −>日本の三菱の岩崎家が購入 静嘉堂
1920−1930年ごろを考えて、中国の最大の図書館はどこにあったのだろうか?北京の図書館と杭州の江南図書館だろうか?
中華民国期の有名な蔵書家のなかでも、共産党によって殺された長沙の葉徳輝の場合をみてみよう。イメージは葉徳輝の著書「書林清話」
長沙の葉徳輝(1864-1927)は共産党の農民協会によって殺された。長沙は湖南省だから当時三十代の毛沢東も関係していたかもしれない。遺族は蔵書を、日本人「山本」に売ったそうだ。実はこれはかなり幸運だった。というのも1938年1月に蒋介石の命令によって長沙は焼き払われたからだ。これは戦闘ではなく「日本軍にとられるくらいなら焦土にしろ」という非道な命令だった。葉徳輝の蔵書は長沙城内の邸宅にあったから当然焼失している。ある意味きわどいところだった。
ミョウ荃孫の芸風堂蔵書−>上海で売却
傅増湘 の双鑑楼蔵書−>北京図書館と四川大学
トウ邦述 群碧楼蔵書−>中央研究院
劉氏嘉業堂蔵書−> 重慶図書館−>台湾
このように、他の蔵書家の伝記をみても、日本軍の攻撃による直接被害があまりみうけられないのである。商務印書館と東方図書館被害以外であったのだろうか?ご教示願いたいという気になっている。