
ニセチャイナ―中国傀儡政権 満洲・蒙疆・冀東・臨時・維新・南京 (20世紀中国政権総覧)
http://www.amazon.co.jp/dp/4784511156
を読んだら、面白い記述があった303ー304P。
1943年8月24日から第二次献銅運動がはじまり、故宮博物院にある防火用水をいれた大きな銅の瓶と大砲を銅材料として提供しろという話があり「故宮博物院は華北政務委員会に対して歴史的価値のある銅の大瓶と大砲を日本軍に供出せずそのまま保存するよう申し入れた。」
この「故宮博物院」ってなんだろう? 1943年では、故宮博物院は所蔵品を荷造りして重慶に避難してしまっていたはずである。公式には、この時点では北平(北京)には故宮博物院という組織はなかったはずである。いったいどこの誰なのだ。
2012年1月16日に
もうひとつの故宮博物院 再
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/53119328.html
で、書いたように、日本をバックにした 王克敏が首班の中華民国臨時政府の下 華北政務委員会のもとに 「故宮博物院」という組織があって運営していた証拠がでた。当時の故宮は日本軍の衛兵が管理していたわけではなかったのだ。これを第3の故宮博物院と呼びたい。
つまり、故宮博物院は約10年間、重慶と北京に分裂していた。しかも北京の故宮博物院では日本による文物略奪どころかよく保存されていたことがわかる。
イメージのように1939年、1941年に北京で書画複製の出版が行われている。ここで興味深いのは、1939年のほうは「国立北平故宮博物院印行」、1941年のほうは「故宮博物院印行」となっている。これは1940年に北京が「北平」→「北京」に正式に名前を改めたことによる。この改名も北京の中華民国臨時政府によるものだから、これらの出版物が北京で、北京の中華民国臨時政府のもとで刊行された証拠になるだろう。
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