目の眼 2014年7月号
http://archive.menomeonline.com/Backnmber01/menome451-500/menome454.html
は、◎特集
文房四宝の世界〜東洋の心を知る
では、いろいろつっこみどころがあるのだが、まず、ちょっと慌てたのは、
台北 國立故宮博物院─神品至宝─ 展に見る
健筆! 乾隆帝の文房具 インタビュー
である。「豊田 淳」じゃないですよ、ネットで漢字を間違えて入力してしまったんだろう。
さて、
>蘇東坡の黃州寒食詩のあとに乾隆帝が書きこんだ跋文は、いったん書いたものを削り取って。裏打ち補強して、また書いたものだ。
というのがあった。
実はイメージのように、この部分には文字の周りに滲んだような変色部分がある。どうもおかしいなあ、と思って色々仮説をもっていたのだが、昨日、このくだりを読んで、「ほんとかなーーー」と図版をチェックしてみた。実は私は墨と紙との化学反応なんじゃないか?と想像していたのである。
注意深くみると、濃い墨線があっても変色していないところが散見する。
ということは、文字があるところを切り取ってしまって、裏から薄い紙をあてて補修してその上に更に書いたということだろうか? まあ、
こういう巻物は、裏打ちをして巻物につくるのが普通だから、紙はもともと二枚三枚と重なっている。おそらく、巻頭の豪華な題をつけるときなどに全部解体して修理しなおしただろうから、そのときに再度やったのだろうか。
この紙は、宋時代の紙、蘇東坡が書いた紙の余り紙の上に直に書いている。乾隆帝は、よくこういう無茶なことをやっていて、名画名跡の上に直に落書きをして現代人の顰蹙をかっている。いくら帝王の特権とはいえ、やり過ぎである。
さて、もし、この乾隆帝が書いた紙が明清時代の適当な紙だったら、乾隆帝も書き間違えたとしても、紙を取り替えておしまいだっただろう。ところが、これは蘇東坡が書いた紙そのものの貴重なものだったから、乾隆帝も惜しいと思って切り捨てるのではなく、そういう手の込んだことをやったのだろう。「古い由緒のある紙の尊重」という意識が乾隆帝のこの作業にみえるということを
さて、この紙だが35mmぐらいの間隔で折り目か漉き目かわからないみえにくい罫線のようなものがあるようだ。カラー図版より博文堂のモノクロ図版のほうがよくみえる。カラー図版がよいとは限らない場合もあるという良い例だろう。
本文の「富田さんなら実物をガラス越しではなく、透かしてみたりできただろうから」という部分を拝読し、思わず鼻血が出そうに感じましたです。
今回も事情があって見ることができません。前回は2000年くらいでしたから、あと15年後くらいにもう一回チャンスがあるんでしょうか。
その時まで生きていなければ、とマジで思っている今日このごろです。
> 河村 様
貴殿は日本国籍でしょうから、台北でみるほうが早いのではないか と思います。2,3年に1回ぐらいは展示されています。また、香港での展示の可能性も結構あると思います。
今後、情報を細かくチェックするようにします。
失礼いたしました。
http://tech2.npm.edu.tw/Exhibit/sysweb/npm100/zh-tw/calligraphy.html