2018年11月18日

日本はフランスと戦争したのか?

  第2次世界大戦で、日本が東洋に植民地をもっていたヨーロッパ諸国と戦ったということは、よく語られることである。あるところで、「フランスと戦った」ということが書いてあって、あれ、変だなあ、と思った。英国や米国は、ともかく、当時のフランスはドイツに占領され、ヴィシー政権があった時代であり、枢軸国だったんだから、フランスと戦ったはずはない、、と感じて、少し調べてみた。

  どうも、短期間だが戦争があったようである。それは、
 ヤルタ会談の後、ドイツが敗北寸前になったころの、昭和20年1945年3月9日−12日の短い戦争である。

 もともとヴィシー政府のもとにあった、ヴェトナム駐屯のフランス軍は、日本と協調していたんだが、
ヴィシー政府が崩壊したあとで、ドゴールよりになり、武装解除を要求した日本と衝突し、日本は最後通牒を出して戦争になった、ということらしい。

 第二次世界大戦中にインドシナのフランス軍やフランス官僚、更にフランス極東学院が、枢軸側だった、という観点が、我々にはぬけおちているので、当時の記録や事件で、納得がいかないことが多いことがある。



posted by 山科玲児 at 08:19| Comment(0) | 日記

2018年11月17日

ホイアン引き揚げ陶磁器

HOI AN.JPG


ベトナムのダナン沖 ホイアン沈没船引き揚げ文物についてのネット情報を探したが、意外にないんだね。
特に日本語の分は、
大阪市立美術館の 展覧会 PDF ぐらいしかなかった。

イメージはホイアン引き揚げベトナム陶磁 小合子 3cmぐらい
posted by 山科玲児 at 10:42| Comment(0) | 日記

2018年11月16日

ボス  最期の審判の公開場所

ウイーンに行った方のブログで知ったのですが、
ヒエロニムス=ボッスの「最期の審判」は、今、造形アカデミーの改修のために
演劇博物館で展示しているそうです。


演劇博物館の英語の告知::
posted by 山科玲児 at 13:22| Comment(0) | 日記

マレーシア不正金融事件 華僑Jho Low 劉特佐 逃亡 【追加】


約数千億円を、マレーシアのファンド1MDBから盗んだと指弾されている

マレーシアで捜索令状がでた

華僑の投資家 Jho Low 劉特佐
について、

米国司法省が掲示しました。


ゴールドマンサックスも関わっていたということとで、米国にも大きな影響があったからかな。

詳しく読んでないのですが、口座資産凍結ぐらいはするのかな??

個人の豪華クルーザー船に乗って中国の港に逃げたという噂があるようです。

【追加】やはり司法省は起訴したみたいですね。日本語ニュースでもでてました。こういう起訴のときは資産保全命令も出るでしょうから、預金・不動産・なども凍結されるんだろうな。またJho Low からいろいろなものをもらったハリウッド・スターたちがもらったものを「米国政府に」返却しているようです。ハリウッドの腐敗の一端を垣間見ました。



posted by 山科玲児 at 12:35| Comment(0) | 日記

夏珪は忘れられていたか

夏珪 ボストン.jpg



  南宋画院の画家:夏珪(イメージはボストン美術館所蔵)  が「17世紀で完全に忘れられた completely   forgetton。。20世紀に再発見された」
という記述が
英文Wikipediaにあるが、ひどい間違いである。

その証拠は、
1.  18世紀のど真ん中1745年に編纂完了した、乾隆帝 宮廷所蔵品の目録  石渠宝笈 初編  巻32  御書房所蔵分  に2点 記載されておりいずれも「上等」というランクになっている。これらの作品の真贋はどうでもよく記載され上等となっている以上、忘れられているわけではない、わけである。清朝宮廷のほかの目録をあわせると、6点が記載されている。

2.1854年  同治10年1871年に刊行された李佐賢:書画鑑影第2巻にも夏珪の画巻が掲載されほめられておる。この書画鑑影  は北京の複数の収集家の収集品を実見した記録である。記載された書画が現在までのこっているものも多く、それらと比較することにより水準が高い著録であることがわかる。

3.19世紀に書かれた大収集家:顧文彬(1811-1889)の過雲楼書画記にも1点記載され激賞されている。
  以上の 証拠により
 「17世紀までに完全に忘れられ」
てのは、嘘もいいところだ。ほんとうに、どこの誰が言いふらしたんだろうか??



posted by 山科玲児 at 08:04| Comment(0) | 日記

2018年11月15日

米友仁の絵

米友仁.jpg
米法山水のご本家、米友仁の真蹟というのは実に少なく、模写や贋作や作者間違いの作品が大手を振って喧伝されているのは、情けないことである。

そのなかで、実見してがっかりしなかった、まず真蹟とおもわれる
上海博物館の瀟湘図巻のカラー影印(イメージ)を入手した。東方書店に偶然あった。
台湾の三民でも売ってるようだ。
湖北美術出版社  2013年、折り本のようになっている。ほぼ原寸。色再現はよくないが、結構まともな影印でよかった。

東京国立博物館での上海博物館展で、なんどもつくづくと観て以来、再観賞の機会がないのが残念だが、ひどく傷んでいるとはいえ、まず大丈夫なものだと思う。これにはいろいろ面白い問題があるが、それはまた後で。

実見したものでまともなものは大阪市立美術館の小品である。これもまた切り貼り損傷がひどいが
真蹟には違いないようだ。

他でよさそうなのは、メトロポリタン美術館のものかな。
台北國立故宮博物院のものは、上海のもののコピーである疑いがあるが、非常に興味深いもので、全部鑑賞する機会がほしいと思っている。

posted by 山科玲児 at 08:18| Comment(0) | 日記

2018年11月14日

国宝 小川本 真草千字文

真草千字文 (1).JPG


国宝 小川本 真草千字文 
の新しいカラー影印がでたようである。
国宝 小川本 真草千字文  勉誠出版

このサイトにチラシのPDFがあるが、なんかおかしいので. このPDFファイルへのアクセスはお薦めしない。サイト・アクセスは問題なし。

2万円以上、と高い本だが、A3版変形と、かなり大きな本になっていることも気になるところである。大きな本は、使いにくいのだ。
解説は読みたいが、ちょっと手がだせないかな。。
実物観ていないので、影印の精度については、いうことはできない。
それにしても、文化庁ではなく、まだ小川家にあったんだ、と驚きました。

日本でのカラー影印は、たぶん1979年の便利堂のカラーコロタイプ豪華本(イメージ)以来かもしれない。中国では、パクリ風の安いカラー影印があるようだ。上海に貸したとき写真に撮ったものなのかもしれないが、便利堂本のパクリかもしれないね。
勝手に上海博物館の館蔵にしてしまっているところが痛すぎる。
実は、台北 國立故宮博物院の所蔵月儀墨跡も、このシリーズに入っていて、やはり館蔵、、
いいかげんにせいや!

当方は、昔昔、新京極の古本屋で、安く買ってラッキーと思って愛蔵している。
なんせ、定価78,000円という高価なものだったからね。現在の古書価格も決して安くはないようである。箱付きの美本なら10万以上はするようだ。





posted by 山科玲児 at 08:08| Comment(0) | 日記

フランス革命時代のスパイの手紙

ときどき、PDFカタログを案内してくれるパリの古書展の最新案内に、

フランス革命時代のスパイの手紙


というのがあった。 PDF  4.24MB  フランス語

こういうのも、売り物になってるんだなあ。

なんでも、1791年に英国に亡命貴族(エミグレ)になった人なんだが、実は革命政府のスパイ。
その手紙、1794-1800の分が売りに出されたということのようである。

しかしさ、1794年というのは、7月27日(フランス革命暦II年テルミドール9日)にテルミドールの反動 テルミドールのクーデターが起こって、ロベスピエールが処刑された年なんで、スパイさんとしても、かなり困ったんじゃないかな。




posted by 山科玲児 at 07:46| Comment(0) | 日記

2018年11月13日

エール大学の米元章 画

米友仁画を追っていって、ふとひっかかったのが、
エール大学美術館にある 米フツという山水画巻である



まあ、根拠薄弱なんだが、わりとよくできてるほうかな?

米フツの絵というのは珊瑚筆架の簡略なスケッチ一点(北京故宮)しか残っていないので、
どういうのが米フツの絵なのかはわからないというのが現実である。
しかも文献では人物まで描いたことがあるそうだから、米友仁画から創造するのは不適当かもしれない。

このエールの絵は、米友仁画から想像してでっちあげたもののようにみえる。その点、自然な出来なんだが、末尾の米フツの後記がどうも下手すぎる上に、そのあとの2つの跋が皆、同じ人の筆のようである。
その後、洪武14年の李某の観記、弘治の観記あたりからはまともそうなので明前期までは遡れるかもしれない。


posted by 山科玲児 at 11:42| Comment(0) | 日記

米友仁

今、ちょっと北宋末南宋初めの画家:米友仁のこと調べてるんだが、
生没年にも2説あるのがわかった。10年も違う。
1086-1165  or 1074-1151,3

事典や学術論文にも堂々と片方の説だけが書いてあるのには呆れました。
意外に公平だったのが韓国ソウルの中央博物館のサイト;意外だなあ。。

まあね、900年も前の人だから、当たり前といえば当たり前。
源氏物語のころの人だからな。
墓誌銘でも出ないと、なかなか正確なところはわからないものだろう。

また、中国の昔の老人は年齢をむやみに多く言う癖があったので、それも影響しているのかな。。




posted by 山科玲児 at 08:09| Comment(0) | 日記