2021年11月27日

マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝

marcus aurerio.jpg

歴代ローマ皇帝 評伝の動画
で、
マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝
の動画をみて思い出したのは、エミール・シオランのマルクス・アウレリウス評

::皇帝には全く不向きな人で、皇帝以外だったら、どんな職業でも成功しただろう。

トラヤヌス円柱と同様な
アルレリオ円柱というものがローマにある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Column_of_Marcus_Aurelius
マルクス・アウレリウス帝の戦勝記念のようだが、
トラヤヌス円柱に比べてイチジルシく中世的なぎこちない描写で、すでにビザンチン美術への傾向がでてきているように感じた。
このアウレリオ柱をみると、ビザンチン美術のあの様式はキリスト教化とは直接関係はなく、ローマ美術の内在的な変化のように感じる。

イメージ::
Title: Romanorvm imperatorvm effigies : elogijs ex diuersis scriptoribus per Thomam Treteru S. Mariae Transtyberim canonicum collectis
Year: 1583 (1580s)
Authors: Cavalieri, Giovanni Battista, ca. 1525-1601 Treter, Tomasz, 1547-1610
posted by 山科玲児 at 11:04| Comment(0) | 日記

マーケティングと美術史




映画:
ダ・ヴィンチは誰に微笑む 劇場公開日 2021年11月26日
https://eiga.com/movie/95754/

を契機に、

山田五郎氏が美術手帳の編集者と対談した動画があって、なかなか面白かった。
山田五郎がレオナルド・ダ・ヴィンチ最後の作品について議論 橋爪勇介(美術手帖ウェブ編集長)との対談イベント 映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SlhFzPOeaNw&t=1122s
他の山田五郎氏の解説はなんかちがうなあ、と思うところも多いんだが、この件では結構良かった。

この「レオナルド・ダ・ヴィンチ作とされる」絵画は、500億円前後の落札価でニュースになったものだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Salvator_Mundi_(Leonardo)

当方は、オークション前に、ネットで画像を一目みて無視、ああ、またミラノ派のベルナルディーノ・リュイーニ周辺の作品をいじったものだろうと思って、馬鹿馬鹿しいと思っただけだ。
だから、その後はあまり知らなかったのだが、15 November 2017に、Christie'sのニューヨークオークションそれも「現代絵画」でUS$450.3 millionで落札されたという。この「現代絵画オークション」に入れたというのは、なんとも皮肉な感じがして、山田五郎氏も今回初めて知ったということであるが、Christie'sの公式サイトにのっているので嘘ではない。「Post-War and Contemporary Art Evening Sale 」であるから明かである。
https://www.christies.com/features/Leonardo-and-Post-War-results-New-York-8729-3.aspx

結局、マーケティングとプロパガンタで中身のないものを押し上げているわけで、マスコミ「政権交代」の連呼で政権をとった民主党や「自民党をぶっつぶす」で権力を握った小泉純一郎と同じしかけである。

あと、破損 損傷とその後の修理については、修理前の破損状況はそれほどひどいというわけではない。ただ修理はヤリスギっぽい感じはする。

posted by 山科玲児 at 08:41| Comment(0) | 日記

2021年11月26日

ヒゲとローマ皇帝

rome Museo Capitorino.jpg



最近、ローマ歴代皇帝  伝記 動画を youtubeで視聴しているが、なかなかおもしろい。
  人物評伝だから、皇帝ネロに対しても、私が昔読んだ、スエトニウス、ジェラール・ヴァルテル、塩野七生の本とも、評価は違うし、ハドリアヌス皇帝に対しても、ユルスナール、塩野七生の本とも、評価は違う。

そして、また思い出したのは「ヒゲ」のことだ。ローマの皇帝肖像 コインでも胸像でもであるが、カエサルにはヒゲがない、オクタビアヌスも、チベリウスもドミティウスもトラヤヌスにもない。当時の有力者の肖像にもヒゲはないから、そういうファッションが当たり前だったのだろう。そしてヒゲがあらわれるのは、ギリシャかぶれとそしられたハドリアヌスからである。。

ギリシャを含めた
古代オリエント文化圏では、ヒゲがあるのが普通のように思う。そういう遺風は、イラクに駐屯した佐藤正久隊長がバカにされないようにとヒゲを蓄えるようになった話にまで伝わっている。
ただ、エジプトではファラオはヒゲをつけるが、臣下の肖像にはヒゲなしが多い。この点はちょっと不審なところである。

そうはいっても、古代ギリシャ古代オリエントが「ヒゲだらけ」を観ると、古代ローマは特異である。
エトルリアの壁画にはヒゲがあっただろうか、ギリシャほどはなかったかもしれない、タルキニアの壁画をみると半分ぐらいかな。髭蓄えているのは。あれほどギリシャの影響が強くてもそういうとこは、古代ローマに近いのだろうか。。

  ローマのカピトリーノ美術館にいったとき、不思議だったのは、女装したと伝えられる少年皇帝ヘリオガバルスの肖像がヒゲ面だったことだ。

 15世紀ブルゴーニュ公の肖像にはヒゲがなく、16世紀から急に皆ヒゲがでてくる。
明治時代の日本人はヒゲの人が多く、20世紀にヒゲなしになってるね。

posted by 山科玲児 at 11:47| Comment(0) | 日記

銀板

BC1177.jpg

B.C.1177 ─古代グローバル文明の崩壊
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480858160/

の133Pに、
エジプト・ヒッタイト平和条約の原本である銀板に彫ったものがみつかったような、記述があった。
>ほんの数十年前に、そこで考古学者によって発見されている。

ネットで調べてみたが、そういう話題はなかった。

貴金属は略奪され溶解されがちなので、いくらなんでも話がうますぎる。なにかの間違いじゃないかという感じはしていた。

著者クラインが引用しているBRYCEの論文らしいもの

The ‘Eternal Treaty’ from the Hittite perspective

 
によると、1986年にハットゥーサ(ボガズキョイ遺跡)の南壁で発見されたのは青銅の板であって銀板ではない。
誤訳かもしれないなあ。

posted by 山科玲児 at 09:00| Comment(0) | 日記

2021年11月25日

声部の多い曲



53声部ザルツブルク ミサ のように声部の多い声楽曲では、

トマス・タリスの40声部モテット
https://youtu.be/fsWCV3-gu-c

もある。しかし、4声以上になると、聴くほうの人間の頭脳が追いついていかないように思う。
ギリギリ楽しめるのは、ニコラ・ゴンベールの八声のクレド ぐらいまでだろう。
posted by 山科玲児 at 07:52| Comment(0) | 日記

53声 ザルツブルク ミサ 続

53声部ザルツブルク ミサは、
日本のアマチュア合唱団でもしばしば取り上げられるレパートリーだそうである。
2台のティンパニ、10本のトランペットなどの器楽伴奏部門は圧縮・省略するヴァージョンがあるのかもしれない。

ハ長調の明るい曲想だし、意外にうけるのかもしれないなあ。

コープマンによる Gloria
https://youtu.be/93FKXwQc1RI
posted by 山科玲児 at 07:25| Comment(0) | 日記

2021年11月24日

53声 ザルツブルク ミサ


柴田南雄先生が「痛快なミサ曲」、「ある様式の崩壊寸前にみられる巨大な落日」と評していたが、ハ長調でもあり祝典目的らしいこともあり、明るく、そういう不安な退廃は感じられない。

柴田先生の当時はベネヴォリOrazio Benevoli()の作で1628年の聖堂落成式のためにつくられたものとされていたようだが、現在では、ハインリヒ・イグナツ・フォン・ビーバーの作で、1682年、ザルツブルク司教座1100周年記念式典用だということになっている。なんでそんなに変わったのだろうか、
Wikipediaの英文解説しか現在調べていないのだが、、
https://en.wikipedia.org/wiki/Missa_Salisburgensis_%C3%A0_53_voci

もともと、この巨大な楽譜(84x56cm)は1870年代に、ザルツブルクの八百屋の家で偶然発見された。そして作曲家の名前はなかった。で1628年の聖堂落成式のためベネヴォリに委嘱された曲なんだろう、と推定されていたのである。1960年代までの本には皆そう書いてある。でも、その後、色々な研究を経てビーバー作に変わったということらしい。

作品自体は結構よくて、サンクツスなんか悪くない。現在でも時々演奏されるようだ。
posted by 山科玲児 at 09:48| Comment(0) | 日記

インドネシア インスタントコーヒー  続

インドネシア インスタント.JPG



このインドネシアの インスタントコーヒー  他の人にも好評だったので、推薦しておきます。とにかく安い。

長崎ならココウオークで新しく開店したJUPITERで売ってます。

しかし、インド・コーヒーという名称はインド産かと紛らわしいですね。

posted by 山科玲児 at 09:02| Comment(0) | 日記

2021年11月23日

なぜ指揮者が生まれた?

オーケストラでもオペラでも、指揮者が中心になるようにみえる。しかし、よく考えれば音を出すわけでもない指揮者がなぜ必要なのだろう。全員暗譜でやれるレパートリーなら指揮者なんかいらないのではないか? そもそも どういう事情で登場したのだろう。指揮者が絶対必要な状況とはどういうものだったんだろう。。
  タルキニーオ・メルラのオルガン曲Capriccio cromaticoの演奏ヴィデオを視聴しながら、空想した。
  少なくとも、ソロ・コンサートじゃ指揮者は存在しない、トリオや弦楽四重奏でもありえない。
  バロック時代の演奏形態をいろいろ考えたら、指揮者が絶対必要なシチュエーションを思いついた。二重合唱のように、演奏グループが建物の両端や回廊に分散する場合だ。

この場合、指揮者がいないとメチャクチャになってしまう。
そうなると、ガブリエリ、モンテヴェルディのころから、指揮者はいたということになる。ザルツブルクでの53声部の祝典ミサも作曲家自身が指揮したといわれるが、こういうのも指揮者が要る音楽なんだろうなあ。









posted by 山科玲児 at 14:02| Comment(0) | 日記

舎内帖


で河出書房版 書道全集からのモノクロ写真を紹介しました。
posted by 山科玲児 at 10:29| Comment(0) | 日記