2018年07月14日

ボストンの鈴木春信





福岡博物館で、
ボストン美術館浮世絵名品展「鈴木春信」2018年7月7日(土)〜8月26日(日)
http://harunobu.exhn.jp/
観てきました(左イメージがちらし)。千葉を振り出しに、名古屋、大阪、と巡回した展覧会なので、既にご覧になった方も多いと思いますが、色々考えせられるところが多い展覧会でした。

2002年に千葉で観た、
青春の浮世絵師 鈴木 春信 −江戸のカラリスト登場−
会期 2002年9月14日(土)〜10月20日(日)
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2002/0914/020914.html
は、全く驚くべきもので、国内国外から広くかり集めてきて世界最高水準の春信をみせてくれました(イメージはチラシと図録、図録の表紙は真っ黒なのでみばえしないので チラシを横におきました)。
当然、2回も千葉まで行き、重いカタログも買いました。
このカタログ、今、古書で1万円以上するようですね。びっくりです。
ただ、カラー図版はとはいえ、さすがに保存状態、刷りの微妙な差までは再現されておりませんでした。
まあ、それは、しょうがないよね。

今回の福岡での展覧会は、ボストンだけの収集なので、ある意味、個性があります。
前回の千葉と比べて、

・世界唯一、というような希少な絵柄のものが結構ある。 そういう意味では、研究家にとっては必須なのかもしれないなあ。

・保存状態・刷り・美しさ という点では、やや遜色がある版画が混じっている。色が濃すぎてやや後刷りかと思われるものもある。これは前回で、シカゴ美術館のバッキンガム・コレクションの信じられないような 座敷八景などを観たので、感性が贅沢になりすぎているのかもしれませんね。でも、どうしてもそう感じてしまうんですね。ミネアポリスやホノルルの春信も相当美しかったしね。
 また、2009年10月3日にパリのギメ美術館を訪ねたとき、鈴木春信の抜群に状態のよい浮世絵が12点展示されていたことは、憶えております。ギメには北斎富嶽三六景のとても早いきれいな刷りのものもあったはずですから、バッキンガム・コレクション並に良いものを持っているのかな。

・揃いで集めたわけではないようで、シリーズものがまとめて展示されているわけではない。

・最初のコーナーは、春信の先輩先駆の浮世絵が展示してあり、末尾には追従者や「歌麿によるオマージュ」作品が展示されてました。この歌麿はたいへん状態・刷り・色も良いものでした。

ボストンの春信をまとめて観る機会は、たぶんボストンに行ってもないでしょうから、お好きな方には推薦します。
 ただ、会場は冷房がキツいので上着もっていってください。

posted by 山科玲児 at 08:40| Comment(2) | 日記

2018年07月13日

ポメラが壊れた

pomera 壊れた.JPG


 文章書きに重宝していたポメラが見事に壊れてしまった。
こう派手に機械的に壊れては、ちょっと手がつけられない。
  中古で買ったPOMERA ポメラ DM20を、細かい修理しながら、だましだまし使っていたんだが、なにもやってないのに、ついに自壊してしまった。
  先代のポメラと同様にプラスティックが劣化して割れてしまったもので、電源が入らないとか、特定のキーがいかれているとかいうような故障ではない。
 Made in Chinaということもあるのだろうが、プラスティックの質が悪すぎるのではなかろうか。 中核部品は日本その他の製造だろうが、プラスティック筐体やナットどめ、パッキング, ワッシャー、支持材などが中国製だろうから、それが急速に劣化することで、大きく壊れてしまう。もし、プラスティックが劣化しなかったら、たぶんキーがだめになるまで更に2,3年以上は使えたに違いない。設計が良いのに、まことに惜しいことである。

 20世紀後半ごろまでは、基本的には素材は進歩していたはずであるが、Made in Chinaが盛行し、素材の手抜きがでてきた20世紀末ぐらいから、退歩・後退がでてきたのではなかろうか?と残念に思っている。
 このような素材ではボイジャーのように宇宙を何年も飛ぶことは不可能であろう。

  実のところ、この折りたたみキーボードというメカニズムが好きで、持ち運べるキーボードテキスト入力機器を常に使ってきた。 ただ。現在のより若いIPHONEに慣れた人々はキーボードではない方法のほうを使っているのかもしれない。それとも、若い世代で文章を多量に作成する人々もキーボード入力なのだろうか??

  ポメラの新しいものはかなり高い上に、やや大きかったり、折りたたみでなかったりするので、
予備機として死蔵していたPALM系のものを復活させて、携帯型キーボード入力できるようにしようと作戦を練っている。
 TARGUSストアウェイポータブルキーボードを使おうというわけだ。これも中国製だが、メカニズムのとこや支持材に金属を使っていて、かなり信用がおけそうだ。

 正直言って、折りたたみキーボードに小さなモノクロ画面、マイクロメモリーカードがついている製品があれば、それで十分なんだが、そういう簡潔な機械をメーカーは開発してくれないのだろうか??



posted by 山科玲児 at 08:41| Comment(0) | 日記

2018年07月12日

バロック音楽としてのモーツアルト

  作家の百田尚樹氏が、モーツアルトのレクイエムについての対談やってる動画を聴いていて、やはり餅やは餅や、司司は、あるものだ、と思った。どうもピンとこないのは残念。実は百田さんは相当詳しく新しい文献を読んで調べているのがわかる。意外に勉強家だとは思う。それでもなんか変なのは、モーツアルト前後を分水嶺にして作曲家の地位、生活様式・作曲方法・収入源などが、かなり変わることがあまり知られていないということだろう。無論、すべての要素が同時に変わるわけではない。例えばモーツアルトが作曲に使っていた楽器は長い旅行中は主にクラヴィコードだったし、ウイーンに住んだ後半生では初期ピアノ(ワルターピアノ)やチェンバロであった。決して今のグランドピアノを念頭においていたわけではない。一方、後半生では、バロック時代の音楽家では常識であった貴族や教会の楽長などの安定した職業に就任すること、をむしろ拒否したかのような奔放な人生を送っていて生活様式はむしろ先進的近代的である。シカネーダーと協力した「魔笛」は、一般市民の入場料 に依存する極めて近代的な公演・財政基盤をねらっている。
  いろんな要素の変化が前後しているのだが、モーツアルトのバロック時代風のマイスター 職人的な部分が、最近の演奏・研究・論説によって、より明らかになったのはよいことだった。
   そういう観点からみれば、レクイエムが中断し弟子によって補作されたのは至って普通のことで、後世、モーツアルトの天才神話が言い触らされた結果、なにか異常なことのように思われているにすぎない。ただ、バロック時代のような工房・師匠弟子の関係がモーツアルトの時代のウイーンでは緊密でなかったから未亡人がうまくやれなかったということだろう。
 現在でもときどきあるが、作曲でのパクリ借用は普通のことだった。全くのオリジナルというほうが少ない。
あのベートーヴェンですら、
柴田南雄先生のベートーヴェン評として、

他人の作品から音楽語法やモチーフをそっくり借用したり、そのアイディアを全面的に模倣したりする例はきわめて多いのである。

傑作として一般に親しまれ、愛好されている作品にむしろその傾向が強く現れており、彼の完全にオリジナルと思われる作品は得てして人気に乏しいことである。

ということらしい。
  レクイエムの有名な冒頭は、モーツアルトの100年前のシャルパンティエの「マリーテレーズ王妃への追悼音楽」の冒頭とそっくりである。もちろん完全パクリでなく、すぐ変わるのだが、10年以上前、この曲を聴いたときは驚いた。おそらくパリ滞在のとき、類似の音楽を耳にしていたのではなかろうか。
 モーツアルトが尊敬していたジュゼッペ・サルティの作品は完全に忘れられ、21世紀になってようやく多少演奏されるようになってきたが、驚いたことにモーツアルト作品とよく似ている。
 つまりモーツアルトは富士山のような孤峰ではなくエベレストのような大山脈中の抜きんでた1峰のようだ。もちろんその高さ・周囲を遙かにぬいている程度は半端でない。
 画家ルーベンスは、大工房を運営し、素描や色指定した下書きを弟子に与えて制作させ最後の仕上げを施して自作として出荷していた。こういう制作方法が当時は普通だったのだ。そうでなければルーブルのマリー・ド・メジチスの生涯のような大作連作が短い期間でできるわけがない。これは現在のマンガ制作プロダクションとよく似たシステムであろう。
 作曲家の場合は事情が違うだろうが、大規模な作品 オペラなどでは」多少そういう面はあったようだ。どちらにせよ、19世紀以降とは作品に対する考え方自体が違うのである。
 ワーグナーを頂点とする「天才が無から発想するオリジナルな個人制作」という伝説は、より古い時代、そして20世紀後半以降にもあてはまらないだろう。先駆としてはストラヴィンスキーのプルチネラがある。 ビートルズのエリナ・リグビーもヴィヴァルディではなかったか?
 当然、オリジナルな楽譜そのものが粗略で多義的であり、様々な解釈を許容するものになる。
 百田さんは、レクイエムではサンクツスなどの楽章の最初はすばらしいが後半はそれほどでもない、というようにいっているが、おそらく冒頭のメロディと展開は書いてあったが、そのあとの展開は略号やおおよその設計図だけ書いてあったのかもしれない。バッハのフーガやカノンにもそういうものがあり、展開は演奏者が解いて行わねばならないというものである。ロマン派以降の作品のように全部書いてあるわけではないのだ。
 どうも、あのひどすぎる田中 英道「国民の芸術」に代表されるように、いわゆるナショナリスト系の論客が古い芸術に手を出すとあまり良い結果を出すことはできない傾向があるようである。性急にすぎるところ、思いこみがすぎるのが問題なのかもしれない。一方、左派系の論客が「人民に奉仕したか」「進歩的だったか」という物差しで芸術家芸術品をランクつけるのもまた噴飯物で過去にも様々な害毒を流してきた。

続きを読む
posted by 山科玲児 at 10:53| Comment(0) | 日記

九州国立博物館でビュールレ コレクション

  
太宰府:九州国立博物館で観賞した。

 末尾のコーナーに、コレクターの経歴がパネル表示してあった。
 この人は武器製造業者  死の商人だったことは、まあいいとして、スイスが武器輸出禁止したのは1944年だったことに驚いた。第二次世界大戦中は、ほとんどずっと輸出していたわけである。

  作品では、まず、スイスのビュールレ・コレクションの公式サイトで、ほとんどの作品イメージを小さいながらみることはできる。

 展示作品のことだが、、
 カナレットの優れた大きい作品が鑑賞できたのにびっくりした。ほぼ同じ大きさの二点中  大運河 を描いたほうが佳作。ロンドンのウォレス コレクションを連想した。


 ほぼ同じ絵柄で小型の絵がヒューストンにあるようだ。

 このビュールレの作品は相当良いものだと思う。実はこの展覧会で一番記憶に残ったのがこのカナレットである。

 アンリ・ファンタンラトールの自画像ってのがあった。珍品だと思う。
 モネとマネのほとんど同じような絵が並んでいた。画家名を取り替えてもわからないだろう。
 セザンヌの赤いシャツの少年 は、事前の先入観とは、かなり印象が違った。眼の描き方が小さい図版ではよくみえないからだろうか。
 セザンヌの暗い色調の「聖アントワーヌの誘惑」は、ひょっとしたら、画商のヴォラールが、画題を「ディアヌとアクタイオン」と間違えて展示し、その後、またもとに戻したという変わったエピソードをもつ絵かもしれない(REFの「後ろ暗い冒険」の章」)
 ブラックの「ヴァイオリニスト」をのぞけば、二〇世紀絵画は それほどでもない。

REF.
贋作者 商人 専門家, ゼップ・シュラー 関楠生訳 河出書房新社, 1961,


posted by 山科玲児 at 09:00| Comment(0) | 日記

2018年07月11日

九州国立博物館 常設展


太宰府:九州国立博物館にいきました。

常設展示 フロアが充実していました。

文化庁の 駿牛図
松永コレクションの韋駄天、明王白描二種、
類例のない?歌仙「蝉丸」など

思いの外の眼福をいただきました。

日本金石拓本の企画展示(〜7月22日)やっていて、これがまた大変よかったと
思います。

詳しくは、また、明日。

posted by 山科玲児 at 19:25| Comment(0) | 日記

2018年07月10日

ヴィヴァルディの家

vivaldi la notte3.JPG

ディープなヴェネチア大好きな方のブログ
で、ヴィヴァルディの家が紹介されていました。転居してるんでいくつもあるんですね。
父上の家業、弟の家業が理髪師だったはずなんで日本でいう1Fを店にして、日本でいう2F以上に住んだんでしょう。

イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)
ヴェネツィアの、ヴィヴァルディとアンナ・ジロの家

アンナ・ジローの家らしい? 家も紹介されてます。

しかし、アンナ・ジローの家族は相当、アンナの稼ぎに依存しまくっていたようで、
今でいうと、スター・アイドルの家族がなりがちな事情みたいだったようです。
アンナ自身は中級貴族と結婚しましたから、一応おちついたみたいですが、そのあとはわかりません。

しかし、このブログは、ほんとにヴェネチアに特化していて、
興味深いものです。


ヴェネティアといえば、、
私は、ヴィスコンティ映画の「ヴェニスに死す」 の舞台らしいLIDOを観て満足し、その後、パラッティオ・ドッカーレで、ヒエロニムス・ボスの絵がなんで出てないんだ!!と担当と喧嘩したあげく涙を呑んで引き下がったことを憶えています。



posted by 山科玲児 at 08:31| Comment(0) | 日記

2018年07月09日

江川紹子のオウム真理教についての正論



江川紹子の「事件ウオッチ」第105回
「真相究明」「再発防止」を掲げる「オウム事件真相究明の会」への大いなる違和感
ビジネスジャーナル
ニュースサイトで読む: http://biz-journal.jp/2018/06/post_23659.html

さすがに、本当に事件の取材をしてきたジャーナリストは違う。有田芳生とは天地の違いだ。




posted by 山科玲児 at 09:59| Comment(0) | 日記

音楽における偽作・作曲者の間違い


国立音大  図書館サイトに面白いPDFがありました。



です。 「おもちゃのシンフォニー」って、まだ甲論乙駁状態だったんですね。カッチーニの「アヴェ・マリア」がソビエト・ロシア:ソ連の作曲家の作品だとは、驚きました。
偽作というより、間違いというのが、多いような感じです。
末尾の【むすび】というとこに、なかなか皮肉で含蓄の多い文章があり、ここは必読ですね。



ここにあげられていないもので、話題になったもので思いつくものを少しあげてみます。

・ジョスカン・デプレ アブサロム  −>ピエール・ドラリュー?

・トマソ・アントニオ・ヴィターリ シャコンヌ  --> 作曲者不明の原曲を19世紀に大幅に編曲

・ペルゴレージ トリオソナタ作品1 (プルチネッラにストラヴィンスキーが使った) −>  ガッロGallo, Domenico の1780年の作品

・J.S. バッハ  トッカータとフーガ二短調 −>  ヴァイオリン曲からの編曲?

・ロッシーニ  猫のデュエット  −>いろんな人の合作で、最終的には英国で完成?

このPDFにとりあげられているアルビノーニのアダージョは「連合軍」のドレスデン爆撃と関係があります。この件についてはまた。


posted by 山科玲児 at 07:22| Comment(0) | 日記

2018年07月08日

ヴィヴァルディ 合唱曲になった


ヴィヴァルディの教会音楽:
 詩篇111  Beatus vir qui timet Dominum (主をおそれるものは幸いなり) RV 597
柴田南雄氏>5人のソリスト、各二群の合唱団とオーケストラからなる壮大な音楽
です。
この全13曲中の第九曲:
 In memoria aeterna erit justus (正しき者は永久に記憶される)
が、サルデッリ氏の「失われた手稿譜」で賛美されています。
これは、ソリストによる重唱なんで、
この動画のような演奏形態になります。
https://www.youtube.com/watch?v=3NHmH3W-6aU

ところが、
この曲だけを混声合唱+ピアノのように編曲して、アマテュア合唱団で使うことがあるようです。
混声合唱+オーケストラで演奏したヴィリャンシーコ合唱団の演奏
Chorale VILLANCICO - A.VIVALDI - In memoria aeterna -

を聴いて、あれこれは和声がとても美しく、無理がなく
歌いやすい声域(アルト+テノール+バリトンであまり極端な高音域低音域がない)
なので、合唱団むけなんじゃないか?
と思いました。

やっぱり、既にそう考えていた人は多かったらしく
ハイスクールの合唱団までやってます。
Burlington School

ただ、この曲、どこか他でで聴いたようなフレーズもありますね。
あるいは、他の作曲家が借用したりしているのかもしれないなあ。


posted by 山科玲児 at 15:36| Comment(0) | 日記

ヴィヴァルディの声楽曲

vivaldi la notte3.JPG

 21世紀になってからヴィヴァルディの声楽曲・オペラなどのCD・DVD 上演などが盛んになり、
協奏曲 「四季」だけが知られる状態よりはましになった。イメージは自筆楽譜。

1960年ごろは、
>ヴィヴァルディの作品を聞き終わった人びとの感想というのは、「わかりにくい」「はっきり理解できない」というものでした。
..中略.. 司会の批評家でさえ、「バッハ以前の音楽というものは、やはり、いろんな音楽を聴き終わった後でなくては理解できないのです。」
という状況だったそうだから、驚くほかない。


  オペラなど、全てが面白いとは言いがたいもので、果たして再上演する価値があるのだろうか、、という気もするのだが、数打ちゃあたるので、定番になる曲がでてきて欲しいものだ。オペラ「グリセルダ」のアリア「二つの風に乱されて」は超難曲としても有名になったしね。
  宗教的合唱曲では、昔から「グローリア」なんかは、ハンス・グリュシカートのころから録音があったのだからそれなりに、、と思うが、最近はかなりの量の録音・上演があるようである。そうなるとやはり傑出した曲が上澄みとして浮かび上がってくる。

  その中で、映画「シャイン」に使われた「まことの安らぎはこの世にはなく」RV 630(Nulla in mundo pax sincera)の第一曲アリアが、が今のところ、頂点かもしれないなあ。映画のスタッフもよくこんな曲をみつけだしたものだ。 なんか、ワーグナーのある曲やモンテヴェルディのヴェスプロ:マニフィカートのように、軽い中毒性があるように感じるくらいだ。

  動画では、おとなしいが、声による装飾的演奏も第三部でちゃんとやってる  スロヴェニアの演奏が良いかもしれない。
Vivaldi - ''Nulla in mundo pax sincera'' (with soprano Zinovia Zafeiriadou Vidovic)
https://www.youtube.com/watch?v=G_ETroHLPGk

ソモーヌ・ケルメスやエマ・カークビー、エリー・アメリンクのものは、著作権違反で消されそうな気がするので、ここにはあげない。

  技巧的には派手じゃないかもしれないけど、かなり難しい曲なのかもしれない。美声も要る。歌手によってかなり印象が違う曲なので、技量や声質によってかなり違ってきこえる曲なのだろう。荒っぽく歌うと汚く響くみたいだしね。

 ワゾーリルで多く録音していた英国の団体Concert Musykeで活躍した歌手Evelyn Tubb による、教科書的な演奏:ちょっと薄く面白みに乏しい感じもする
  https://www.youtube.com/watch?v=AItSlyG4AKk

このワルシャワでの演奏、なんか音響に特殊効果使っているんじゃないかと思うくらい不思議
残響が多い会場なのかな。。
Julita Mirosławska - A. Vivaldi - Nulla in mundo pax sincera  

ざっとみると、不思議なことに歌手が皆、北方系であり、イタリア人が一人もいないのは残念である。


なんかバッハもマネしたらしい
スターバト・マーテル も良い曲。。
Vivaldi Stavbat Mater
https://www.youtube.com/watch?v=4hS312rQ4v4&start_radio=1&list=RD4hS312rQ4v4#t=206

他では、定番のグローリアのヴェネチア・ピエタでの演奏がいいかな
Vivaldi Gloria at La Pieta, Venice
   https://www.youtube.com/watch?v=cgaOVV4JQHA

まだまだ、傑作があるかもしれないが、全てが傑作という感じではなくパラパラとあるので拾い上げないといけない、、という感じだ。


posted by 山科玲児 at 11:24| Comment(0) | 日記