2017年03月11日

ヴィヴァーチェ閉店

ヴィヴァーチェという長崎北部のイタリア料理店が閉店してしまった。

知っている店がなくなるのは寂しいことだ。

事情があって、ちょっとご無沙汰していたので、閉店してから気がついた。

なじみの店にはときどき足を運ばないといけないね。
タグ:長崎
posted by 山科玲児 at 18:00| Comment(0) | 2015年日記

2016年09月07日

日本骨董学院


日本骨董学院というカルチャースクールの人が
「「骨董で贋作をつかまないシリーズ」」 というエッセイをネットで書かれています。

まあ、賛成できない意見もありますが、おおむね常識に沿った意見じゃないのかな。

この日本骨董学院  尚雅堂の日下さんも講師やってたみたいだから、わりと良心的なカルチャースクールだと思いますよ。

ただし、ここの主催者については、批判的な意見の方もいらっしゃるようです。まあどこでも、「悉く信じる」ことはできません。テレビ局の脚本に従わなければいけない中島誠之助ならなおさらですけどね。

posted by 山科玲児 at 07:44| 2015年日記

2016年08月14日

十七帖の翁萬戈本と中村不折本

十七帖の翁萬戈本と中村不折本
http://reijibook.exblog.jp/24593991/

アップしました。

9月の雑誌「墨」は十七帖特集だそうで、なかなか面白そうです。

posted by 山科玲児 at 11:12| Comment(0) | 2015年日記

2015年12月31日

イスパニアの甘美な憂鬱


  2011年の東日本大震災  原発事故のあとは、さすがにフーガの技法しか聴くことができないくらい落ち込んでいたが、
その後、年月が経つとまた色々な物を聴き出すようになる。

  なかでも何十年と愛好している曲のひとつに
  ルネサンス後期のスペインの作曲家 ディエゴ=オルティツの変奏曲集がある。基本的にはヴィオラ ダ ガンバを中心として演奏するのだが、リコーダーでやったり、色々な演奏もあるようである。

  1970年代にヒスパボックスのLPでサヴァールの優れた演奏に触れて以来、愛好している。
 この曲の持ち味は甘美な憂鬱という貴族的な快感にあって、少し疲れたときの慰めにはとても良い。
 ただ、もの凄くストレスがかかったときや落ち込んだときには楽しめない。

 CDは意外なほど少ない。今売っているのは3つぐらいしかない。が、アンソロジーに2,3曲混じっていることがある。

  動画では、意外に多く、
  などなど、、
posted by 山科玲児 at 21:14| Comment(0) | 2015年日記

超満員だった「聖母マリアの夕べの祈り」 


6月17日に、
ガーディナー卿と聖母マリアの夕べの祈りとコルネット 
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/142265712.html
で、
 6月22日日曜に東京カテドラル でやるそうで、しまったなあ、いきたいなあ、と思っています。
   http://www.fonsfloris.com/c/schedule.html#Contraponto20
と書いた演奏会だが、超満員で会場に入れない人もでたようである。ちなみに会場の聖堂はかなり大きい。
東京の聖堂では一番大きいかもしれない。
「聖母マリアの夕べの祈り」もメジャーになったものだ。
 この動画のなかで そういう話がありました。
 『コントラポントのヴェスプロ』 制作インタビュー - YouTube
  https://www.youtube.com/watch?v=i_-dKgYjxn0

posted by 山科玲児 at 21:11| Comment(0) | 2015年日記

オカルトを弄んではいけない

image

  新国立競技場の建築については、再度募集してしぼりこんだA案とB案のうち、A案にきまったが良かったと思う。 

  というのはB案は、上のようにかなりオカルト的発想が入っている。 オカルトを安易に弄ぶのは危険なのは、昔から「触らぬ神に祟りなし」と言われているとおりである。よほど深い心得があり怖れをもって敬虔に近づかないと危ないのがオカルトだ。

 それは、洋の東西を問わない。 このような軽薄なのりでやるのは危険極まりない。

 日経BPは、B案を薦めていたようだが、どうしようもないマスコミの無神経がよく現れていた。


posted by 山科玲児 at 19:23| Comment(0) | 2015年日記

右から左

herclaneum Biblio.JPG

昨日呈示した、この壁画はヘルクラネウム由来のもので、確かナポリ博物館にあるものだと思う。

ただ、左の巻物には妙なところがある。

表題を書いた札が左側の軸からぶらさがっているようにみえることだ。
とすると、これは、日本や中国の巻物と同じで右から左へ読んでいく、開いていくものになる。

ラテン語 ギリシャ語は基本的には左から右へ書くわけだから、これはおかしいだろ。

色々考えたが、写真が裏焼きされているのか? ひょっとしたらユダヤのヘブライ語の本なのかもしれない。ヘブライ語は右から左へ書くもののようだ。他のセム語などにも右から左という語順はあるかもしれない。

なお、ユダヤ系の人で、ローマ帝国のイタリアやギリシャで成功した人はかなりいるようである。

posted by 山科玲児 at 11:40| Comment(0) | 2015年日記

戦争の予感がする日韓合意



  拙速  拙劣を極めた、いきなりでてきた日韓外相会談+日韓合意だが、まったく日本側の意図やメリットがない話を年末にかけこみで無理矢理やったのは、おそらくホワイトハウスからの強要だろう。
 それ以外に理由は思いつかない。勿論岸田外相の個人的利害ということもあるだろうが、それだけではないだろう。 実際、米国国務省はすぐサポートしている。

 「合意には市民社会の支持が重要」 米国務省韓国系団体に自制促す         http://www.sankei.com/world/news/151230/wor1512300039-n1.html

 また、そうとう無茶な会談だったようで、韓国政府も1日後にすぐ合意を反故にするような発言をしており、現実的には合意そのものが24時間ももたないという事態になってしまった。

>韓日外相が28日の会談で、韓国政府が慰安婦関連資料の国連教育科学文化機関
(ユネスコ)世界記憶遺産への登録申請を見送ることで合意したとする日本の報道について、
>韓国外交部は29日、「事実無根」だと明らかにした。
  http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2015/12/29/0200000000AJP20151229001900882.HTML

>一方、韓国政府は「関連団体との協議を行うということであって、撤去を明示的に約束したわけ
ではない」とする立場だ。これは岸田外相の発言とは距離がある内容で、両国はすでに会談の
内容についての意見の相違を示している。
http://www.recordchina.co.jp/a126056.html

  では、なぜ米国政府はこのような強要をしたのだろうか??
  戦争が近いためとしか、考えられない
 時間がないのだ。ただ、20世紀前半の戦争のように正規軍が会戦するようなものではなく、もっといかがわしいものになりそうだ。南シナ海だろうか?とするとISダーイッシュ空爆はロシアに丸投げか? 台湾海峡も危ないかもしれない。

  戦争が近いため韓国を一時的にでも日米側につけておいて時間を稼ぐ、あるいは、邪推すると韓国側の逆ギレを利用して日韓米韓関係を清算する? 意図はどうも図りかねるが20年だったか30年だったかの米国の機密文書開示後にはわかるかもしれない。私も含めそのときまで生きているかどうか解らないが。





posted by 山科玲児 at 09:54| Comment(0) | 2015年日記

2015年12月30日

アフガニスタンの古代図書室


herclaneum Biblio.JPG


先日、書いた 九州国立博物館での展示  

 特別展『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s42.html

には  アイ・ハヌムという古代都市からの出土品も展覧されている。

このアイ・ハヌムは、ヘレニズムつまりギリシャ人の都市だったらしく、著しくギリシャローマ的なものだ。
3Dでの復元映像もある

ただ、この名前、どこかできいたことがあるなあ?と思っていたら、


にでていた。考古学的に発掘された数少ない図書室の例が、ここアイハヌム遺跡の宮殿にあったということである。

当時の本はパピルスの巻物や羊皮紙だっただろう。そして照明の不足から、太陽のさす回廊などで読んでいたのかもしれない。
(イメージはヘルクラネウムの壁画の本と書き板)

しかし、ここは、アフガニスタンの東北の国境に近いところですよ。よくここまでギリシャ人たちがやってきたものだ。


posted by 山科玲児 at 09:39| Comment(0) | 2015年日記

2015年12月29日

シュレディンガーの猫

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  量子論の果てなき境界: ミクロとマクロの世界にひそむシュレディンガーの猫たち 単行本   2015/11/25
  クリストファー・C. ジェリー &  キンバリー M. ブルーノ
   http://www.amazon.co.jp/dp/4320035968

という新刊本を借りてきて読んでいる。 これは本当に数十年ぶりで現れた、まともな量子論と観測の問題のまとまった「日本語の本」だと思った。これは買うかなあ。

  実のところ、これ以前では、

  量子力学と観測の問題―現代物理の哲学的側面 (1971年)
   B.デスパニヤ (著),    亀井 理 (翻訳)
   出版社: ダイヤモンド社 (1971)
   ASIN: B000JA2QJE

  が有名で熟読したものだが、当方にとっても「未解決」「わけがわからない」「こんな妖しいものが現代物理学の基礎なのか」「結果がよければいいんじゃないのー(無責任or論理実証主義)」
という感じで放り出していた。

 ここで問題になるのは、量子光学・量子コンピューターなどの発展によって、量子効果が巨視的な世界に侵入することがざらにおこるようなことになってきているという時代背景があるので、1970年ごろデスパニヤが書いたころとは、かなり違った見方ができるようになってきたことだ。量子テレポーテーションの実験さえ行われているらしい。

 この本のブックデザイン・猫のイラストレーションは非常に良いので、イラストレーターを知りたかったが、どうもよくわからない。原書の表紙は少なくとも邦訳書とは違うようである。

   The Quantum Divide: Why Schrodinger's Cat is Either Dead or Alive 1st Edition
   by Christopher C. Gerry (Author),    Kimberley M. Bruno (Author)


  この件の議論は、物理学者は基本的には避けてきた。役に立たない空論・業績にならない仕事という位置づけで、こういうところに足を突っ込んだ学者は「終わった研究者」として蔑視されたものである。
 しかし、これにはなにか深い意味がある。それは人間の言語や思考の限界に触れるものかもしれない。

 この不思議な話題を考えるとき、思い出すのは 優れた学者であり、同時に変わった学説を出すひとでもあった故フレッド=ホイル 作のSF小説 

10月1日では遅すぎる (ハヤカワ文庫 SF 194) 文庫  ? 1976/5
フレッド・ホイル (著),    伊藤 典夫 (翻訳)
 http://www.amazon.co.jp/dp/4150101949

 あまりできの良い小説ではないが、これは、観測者としての「神」あるいは、意思による世界の選択という量子論の危ない問題を触れたもののように思っている。
 奇人とさえよばれたホイルだから、この問題についてもなにか提案がなかったのかなあ。

  また、昔、優れた相対性理論学者だったベルギー人:ルメートル神父(カトリック)が、ローマ教皇に科学については発言しないよう進言したことを思い出した。この不思議な量子論の問題をローマ教皇が少しでも理解したら「世界の観測者としての『神』」という、危ない教理を教書に出さないとも限らないだろう。

 

posted by 山科玲児 at 09:33| Comment(0) | 2015年日記