2015年07月14日

「風景画の誕生」展 渋谷BUNKAMURA

9月から渋谷  BUNKAMURAである「風景画の誕生」展で
ウィーンのKUNSTHISTORISCHEの
パテニールなど16世紀初期の作品が数点でるようです

石川美子「青のパティニール 最初の風景画家」(みすず書房)
http://www.amazon.co.jp/dp/4622078449
でも高く評価されてあた「聖カタリナの殉教のある風景」も展示されるようで、愉しみですね。
posted by 山科玲児 at 06:50| Comment(0) | 2015年日記

2015年07月13日

洗濯物をとる

  風に吹き飛ばされた自分の洗濯物が、むかいの建物の壁の棚のようなところにひっかかっていた。

 どうも、向こうの部屋の人からもアクセスしにくいところにあるようだ。

 風に飛ばされた洗濯物は、眼につかない遠くに吹き飛ばされてしまっていたら、諦めてしまっておしまいなのだが、あの場所では、毎日、眼に入ってしまうので、これは耐えられない。毎日、意地悪されているようなもので、気になってしまうだろう。

 物干しと掛け軸の取り扱いに使う矢筈をガムテープで一体化させて、更にガムテープをまわりにつけた。獲物を絡め取るクシクラゲの触手のようなものをつけたロボットアームのようなものを自作してなんとかとることができた。

なんか久しぶりに工夫をしたような気がする。福島原発第一の現場では、もっと色々な人が頭を絞っているんだろうなあ。



posted by 山科玲児 at 07:49| Comment(0) | 2015年日記

2015年07月12日

台北 范寛 展によせて その2

安徽  北宋山水 total.JPG



 今回は、海外からの借り物はなく、台北國立故宮博物院の収集だけでの開催である。1コレクションだけでこれだけ出来ると言うこと自体、驚異的であるが、一応海外の例もみてみたい。

  李先生の評価では、渓山行旅図の次に良いのがボストンにある雪山楼閣図だという。
Winter landscape with temples and travelers
Northern Song dynasty
11th century
Image: 182.4 x 103 cm (71 13/16 x 40 9/16 in.)

これは、横浜に来たとき何度も詳細に観賞したが、渓山行旅図ほどの感動はなかった。しかし、かなり優秀な北宋山水画には違いない。ボストンの記録では日本人美術商 早崎氏が1914年に納めたもののようである。

 同様な雪景色の范寛画として、天津博物館にある大きな
雪景寒林図がある。これは藝苑てつ英44期の拡大写真でみたとき、あまり感心しなかったので、実物をみにいく努力をしていない。みる機会があれば観てみたいものだ。原物は写真とは全く違うものかもしれない。
画像は、日本の愛好家の人がアップしているものが良いようである。

先輩でスキーを嗜む方が、雪山の感じがよく出ていると感心されていたことも思い出して、再評価すべきか?と思っている。

 実は、この2つの雪景  北宋山水にちなんで、めったに取り上げられない作品をひとつ紹介する。
イメージの テキ院深のサインのある山水画「雪山帰猟図」155x99cm絹本で、安徽省博物館という地方にあるせいか、めったに言及されない。私も実物はみたことはないが、なかなか良いのではないかと思う。山岳のセンスは少し違うが広い意味での范寛派であり、ボストンの作品にも近い感じがする。
 これは、天津の作品よりみてみたい気がする。
「帰猟」というのは、左下の極小さな部分を拡大すると下のイメージのようにかろうじて2人?の漁師と犬をみることができる。まともな拡大写真がないので全体写真から、かなり無理をして加工して作ってみたものだ。写真の出典は芸苑テツ英 第20期、1983
 
安徽  北宋山水 det2.JPG

posted by 山科玲児 at 09:09| Comment(0) | 2015年日記

2015年07月11日

台北 范寛 展によせて その1


 范寛の渓山行旅図 は私が最初に感動した中国絵画であることは、
「中国絵画入門」http://reijibook.exblog.jp/i7/
にも書いておいた。
当然、なんども観賞したことがあるし、いろいろな批評や論説も読んだ。

  しかし、今回の展示のサイト概説や展示リストをみると、なんというかなあ、
1958年に「范寛」のサインを発見した李霖燦先生の論説(ref 范寛画蹟研究, 李霖燦 中國畫史研究論集 台湾商務印書館, 2版、 1974に所収)から、大きく進歩しているのかなあ?という危惧をもちたくなる。ただ、展覧会企画者は、先人と違ったことをやって新味をもたせようとするものだから、そういう意味では新しい資料や絵画の展示があるということかもしれない。ただ、台北國立故宮博物院の 傳 范寛画をまとめて一堂に比較できる機会というのは なかなかないのだから、貴重な機会である。 そういう意味では、極短期間でも、臨流獨坐圖と渓山行旅図を同時に出陳したほうが良かったかもしれない。

もっとも、サイトの概説とカタログの記述と故宮文物月刊のアーティクルには、かなり大胆さに差があるのが常である。

  先進性、まともさ という点では、
 故宮文物月刊のアーティクル>カタログの記述>サイトの概説>展覧会場の解説  の順番になっていることが多い。
   別に故宮学術季刊というのがあるが、かなり「堅い+高い」本なので、よほど興味のある話題がある場合以外はあまり読んでいない。
  やはり雑誌記事が一番本音でいえるわけで、他は多かれ少なかれ伝統墨守で事なかれ主義になってしまうのはやむを得ないのかもしれない。

 宋范ェ臨流獨坐圖 軸  156.1x106.3cm
  http://painting.npm.gov.tw/Painting_Page.aspx?dep=P&PaintingId=45
は、昔、何度か観たことがあるが、ざっとみたという感じであったが、大観展でみて、かなり見直した。なかなか良い古い画である。描き方などに、北宋末〜金時代に近いものが漂っていて、渓山行旅図とはかなり違うのだが、全体の構成は「范寛派」というのにふさわしい迫力のある作品だと思う。また、墨の潤いのようなものを感じるところがある。
 上部に一面に題賛がある。その書き方から、皆、元末明初のものだろうと推察していたが、李霖燦先生の范寛画蹟研究 によると、皆 明初の洪武時代の人らしい。李先生によると、その題賛のどれ一つとして「范寛」との関係を述べていないんだそうで、これはかなり呆れる話である。少なくとも洪武時代には「范寛」とは別の画家と思われていたのではなかろうか。また、題賛部分をみると、相当傷んでいて修理も多いようである。題賛と修理とどちらが早いのかは精密な写真画像がないので、なんともいえない。
 画題としての「臨流獨坐」これは、後世につけられたものでもともとは違っていた可能性が高い。その「臨流獨坐」流れに臨んで獨り坐っている人が左すみに、しかも左をむいておしこめられているのは、まことに不自然で、これをどう考えたらいいかは迷いがある。大観展をみたときは、南宋時代には人物が景色をみるような構図が多かったから、そういう流行にあわせて 范寛様式を改作したのだろうとか想像したのだが、よく考えたら、人物は左をむいてて山水とは反対方向である。

 これは、かなりおかしい。可能性としてはこの部分は、後で付け加えられたのか、破れたものを貼り合わせたのか? それとも、もう一面左に大画面があってそれと対になっていたのか?
  こういう大画面の障屏画の場合、剥がされ分割されて軸装されることは多いので、2面対の1つだけが残った結果なのではないか?と推察している。



posted by 山科玲児 at 09:31| Comment(1) | 2015年日記

台北より暑い長崎

長崎は東京よりは暑いのだが、

どうも個々2,3日は、台北より暑いようだ。

パンもカビてしまうし、9月初めまでは外食中心にしてあまり貯蔵食糧をしないようにしよう。。

タグ:長崎
posted by 山科玲児 at 07:43| Comment(0) | 2015年日記

2015年07月10日

台北國立故宮博物院で范寛と流派展


 これは日本語サイトですが、
 中文と微妙に違います。


 ただ、これは要注意かな。。

>展示作品の内、「谿山行旅図」と「臨流独坐図」は展示制限があるため、前期と後期に分けて展示いたします。

posted by 山科玲児 at 08:15| Comment(0) | 2015年日記

2015年07月09日

大学で古美術の取り扱い方を教えるべき


画册 開き方 作法.JPG

 ここ数年、親戚や知人が古印材や掛け軸などを扱う扱い方が粗暴なのに、何度もヒヤヒヤしこころを痛めたものだ。別に悪い人たちでもないし、その他の分野では教養のある立派な人たちなのだが、古美術品の扱い方では野蛮人にみえてしまうのだ。 壊したり汚してしまっては代替えのないものなのだ。別に恭しくおそるおそる扱えといってるのではなく、ほんのちょっとしたコツ・作法の問題だけなのだが、それが解らない人が大部分である。

 かなり高齢の人でもそうなのだから、これは第二次大戦の敗戦後、日本社会の中で、家庭教育での伝承が断絶してしまい、博物館員や古美術商や茶人など少数の人にだけ、作法が伝承されたということではなかろうか?

 古筆収集で有名な某氏ですら、くわえたばこで古筆を広げたという言語道断の逸話すらある。

  私にしてからが、恥ずかしいことだが、折り本の画帖は、イメージのように裏に指を入れてめくるものだという作法をずいぶん長く知らなかった。これは、いうまでもなく表面に指汚れをつけないためである。

 そうはいっても、古美術品が必ずしも作法がある人に売られるとは限らない、むしろそうでないことのほうが多いだろう。そうなると古美術の汚損・破壊がすすむわけである。

 それを防ぐために、大学で、集中講義やオープンスクールなどで、こういう作法の短いコースを実施し、単位がとれるようにすることを大学人に熱望するものである。別に一単位でなく補助的なものでもいい。必修である必要はない。簡単に単位がとれるなら、学生も気軽に履修できるであろう。

 お嬢さん大学 お坊ちゃん大学で有名なようなところでは、必ずやるべきではないか?? と思うところである。
 はっきりいって、高齢者に対して再教育は、かなり望み薄だが、オープンスクールやカルチャーセンターで「えらそうな先生」が教授すれば、いうことをきくかもしれないので、そういう催しも重要であろう。

 また、西洋絵画、油絵 水彩画、彫刻、金属器、ガラス、西洋骨董などにもそれなりの取り扱い方があるはずである。私はあまり知らないが??  そういうものの取り扱い方もまた、講義で教えるべきだと思う。そうすれば一単位ぐらいにはなるかもしれない。
 こういうことは従来は口から耳への伝承秘伝にたよったところが多かったのかもしれないが、そうやっていると文化財古美術の破壊が進むばかりである。


posted by 山科玲児 at 08:35| Comment(2) | 2015年日記

【狂気】米ボストン美術館の和服体験イベント、「帝国主義」批判で中止

LunaticBoston2.jpg

米ボストン美術館の和服体験イベント、「帝国主義」批判で中止

ソースが中国紙だが, ARTNEWSでも公式の

「ボストン市民の一部から抗議があったため」、という美術館側の釈明であるが、、
明らかに東洋系で、サンダル履いている。稚拙な英語の講義ビラというかA3ぐらいの紙をイベント最中に掲示している。
 レイシストとか帝国主義とか書いてあるね。
 まあ、しばき隊みたいな連中だ。
狂気としかいいようがない。日本のものはなんでも帝国主義 レイシストらしい。

これでは、本物の「レイシスト批判」すら色眼鏡でみられてしまいアパルトヘイト批判だって「狂人の仲間」になってしまうではないか。

眼を覆いたくなる。

posted by 山科玲児 at 06:21| Comment(2) | 2015年日記

2015年07月08日

イスラムと演劇

イスラム世界で、あまり演劇が発展しなかったという話がある。

なぜなのだろうか? 事情に詳しい人があればご教示ください。

オリエント地域(三日月地帯)では、古代には、かなり演劇が発達していたらしい形跡があるから、地方性ということではないのではなかろうか?と思う。パルティアでも、ギリシャ悲劇が行われていたらしいしね。

一方、音楽はイスラム世界で相当、高度に発達していたようだから、演劇と音楽なんてつきもののように思うのに、なぜ演劇があまりめだたないのか。あるいはオペラのようなものもないのか、ちょっと考えてしまった。






posted by 山科玲児 at 19:17| Comment(0) | 2015年日記

2015年07月07日

俵屋宗達の墓


  俵屋宗達については、確かな文献が少なく、不明なことが多いので、まるで邪馬台国論争みたいに、ここが俵屋宗達の墓だという派閥というか、地方地方での異説があるようである。 こういう話は、いったん否定された説は、本にも載らないが、現地では大きく吹聴されているので、なにがなんだがわからなくなることが多い。

>大正2年(1913年)春に石川県金沢市の宝円寺で発見された宗達のものとされる墓によって、寛永20年8月12日(1643年9月24日)没という説が唱えられたが、京都の頂妙寺にある墓が宗達のものであるという説もあり、本人の墓であるのかについては異論もある。そのため、最近の文献では記載されないことが多い


というようなことを、より明らかにするために、
   河野 元昭, 琳派 響きあう美, 思文閣出版
   http://www.amazon.co.jp/dp/4784217851
という870Pもある浩瀚な書物を借りてきたが、
 わかったのは、金沢の墓には「宗達」とは書いていない「泰源院宗進劉達居士」と書いてあったということだけである。
で[昭和にはいって多くの学者が否定説をとるようになり、今日に至っている]そうだ。。

京都の頂妙寺のほうが、分があるかもしれない。

タグ:俵屋宗達
posted by 山科玲児 at 09:24| Comment(0) | 2015年日記