【訂正】ヴァヤドリードをバリャドリッドになおしました。より一般的な読み方にしたほうがいいという判断です。
カスティリーア語の発音的にはどうなのかなあ? 私のフランスーラテン風発音ならヴァヤドリードなんだけどな、、
2001年にブリュージュを訪ねたときグロニンヘン美術館で古い小さなカタログを買いあさりました。そのとき「スペイン所蔵のフランドル絵画」という小さな特別展カタログを買いました(REF1)。
そのなかにあった、興味深い大きな祭壇画がこのバリャドリッドの聖堂にある一対です。「羊飼いの礼拝」と「三賢王礼拝」が彫刻を中心とする大きな祭壇にはめ込まれています。絵だけでも 各237x142cmという大きさです。高さ2m以上というのは相当大きいですよ。
この祭壇画は、「モリソン祭壇画のマスター」の作品ということになっているのですが、肝心の基準作:モリソン祭壇画のカラー写真をみるとちっとも似ていません。
モリソンというのは、英国人蒐集家Alfred Morrison( 1821-1897)のもとにあったのでつけられた名前らしいです。このモリソン祭壇画は、明らかにメムリンクの強い影響のもとに描かれたものです。おそらくメムリンク工房にいた弟子だったのでしょう。
また、羊飼いの礼拝パネルの図像には、昨日、クリスマスイブで紹介したヘールトヘン トット シントヤンスを思わせるところもあります。「処女達の中のマリアの画家」もオランダの都市デルフトと関係あるような推察もあるようですし、シントヤンスもオランダ南部のハーレムですし、かなりちかいんじゃないかな?
このバリャドリッド祭壇画については、古くはクエンティエン=マーチエス と推定されましたが、その後、フリートレンダーなどによってモリソンのマスターの作品ということになっているそうです(ref1)。フリートレンダー先生は尊敬しておりますが、これはちょっと違うんじゃないかなあ??
それに、ここまで大きな祭壇をみると、祭壇ごとベルギーから運んできたのか、パネルだけもってきて祭壇にはめ込んだのか、最初は小さかった祭壇を拡大したのか?、それとも画家自身がベルギーからやってきて描いたのか? 色々考えてしまいます。絵の基底材 材木がバルト海のオークなのかどうか?とかいうところが決めてになるかとも思います。
スペインの王都だったこともあるバリャドリッドは、マドリードに近い古都で、古建築も多いところだそうです。セヴィリアやセゴヴィアの白雪姫の城もそうですがスペインにはみどころが多いですね。
ヒエロニムス=ボスはじめ、フランドル絵画は、スペインに膨大な量が所蔵されていて、本国より多いのではないか、と思うくらいです。現在、ブリュッセルやアントワープの美術館にある絵画でも、実はスペインからの出戻りというのが実に多くて驚きます。
で書いたように、高さ170cm以上もある大きなフランドル派の祭壇画がスペインのビルバオから最近発見されて、ブリュージュの上でも言及したグロニンヘン美術館に長期(三年間)貸し出しというような事態が起こったということだろうと思います。
REF1:: Musee Comunal des Beau Arts, Groening, L'art Flamand dans les Collections Espagnoles, 1958