草書千字文は、まだ「寄託」というあつかいのようだから、蘭千山館:林柏寿氏の関係者もしくは法人が所有しているのだろうとおもう。
蘭のほうの黄絹蘭亭も出ることになった。これも寄託となっているようだ。実見したとき、古いことは確かだ、という感じはした。蘭亭の系統ではかなり特殊なものではある。
古屋圭司議員が尽力され、つくった法律が生きているので、台北からの借りだしも可能になったということであろうが、このように「台北 國立故宮博物院」を冠しない展覧会でも借りだしが可能になったのはありがたいことである。
そして書道博物館の建中告身 もでる。ちなみにこの告身の箱はものすごく凝ってます。
懐素の 自叙帖、草書千字文については、いろいろ疑念があるのはもっともである。当方もなんども実物を観たが、多少の疑念はやはりあるとおもう。ただ、もし自叙帖が生き残っていなかったら唐代の狂草というもののイメージを実物でつくれたどうか疑問で、たとえ臨本模写本でも残ったことを幸いとしなければならない。
一方、草書千字文のほうはもっと複雑で、真跡という意見も昔から多いし、北宋 徽宗皇帝の印章はまともそうにみえるから伝世を北宋までさかのぼる名蹟であろう。ただ、これにもいろいろな異論はあるようだ。少なくとも末尾のサインの1行と本体の間に絹の継ぎ目があるようにみえるのが不審である。
この展示会、顔真卿 主体というより、唐時代を中心とする中国の書の展覧会というべきものだとおもう。
近年発見された王羲之の模写本 妹至帖、大報帖も展示される。小川家の真草千字文も展示される。
月儀帖 については、これは、もっと後世の模写本だとおもう。書風 印に問題が多いことですぐわかるのだが、唐時代の模写本だと推定できる台北故宮本と比較すると、小楷の異体字が新しい時代の書体に替えられていることも特徴になる。
賢首大師尺牘は、天理にあるのが、より良いもので、こちらは明らかに模写本だ。
青い紙に書いた神仙起居法は、まあまあだが、やはり北京故宮本のほうが多少良いと思う。大陸での紹介では北京本の画像を間違って使用していた。
世説新書、荘子唐抄本二巻をはじめ日本にある唐抄本の多くが展示されるようである。
唐末五代の廃仏と内乱は、文化財にとっては大災厄で、唐代までの伝世書画はほんとうにない。台北故宮でも、北宋までの書画は、そこそこあるが五代唐になると数えるほどになってしまう。
そのため、石碑の拓本、石などに彫った法帖の拓本などが重要な資料になる。
古いところでは泰山刻石百六十五字本などは無二の墨宝だと思う。
犬養本 定武蘭亭は、異論があるようだが、國学本というカテゴリーにいれるのが妥当だと思う。
上野本 十七帖もでるようだ。これはいじったところが多いそうだが、現物を実見すると上品で好ましい感じのする古拓である。まあ、ヒストリシティーというか伝世の味というか、そういう香りがする。
重文の 啓法寺碑 拓本は天下にこれ一册しかないというものだが、名前のわりにそれほどでもないように感じている。そうはいっても、たぶん実見していないので実見したら印象は違うのかもしれない。もとは讃岐の大西家だったと思うが、今どこにあるのかはわからない。
また、今回拓本については、香港大学北山堂コレクションからのレンタルもあるのが嬉しい。
九成宮の旧拓が六点も展示されるのは素晴らしいが、そのなかに香港からの一点もある。このうち天下第一本は顧文彬旧蔵のもので、非常に古い感じはするが破損・修理も甚だしいものだ。
香港から来た、麻コ仙壇記 何紹其 所蔵本というのは、あの小字のもので、昔から有名なものではないだろうか。大字麻姑仙壇記 だったようです。これは違ったな。
長くなるので、まずこれくらいで、「続」にまわすことにする。