2024年02月22日

ゴシック体


和文ゴシック体
和文ゴシック体の「ゴシック」という名称は、米国からきているようだ。
米国で、一時、この書体をGOTHICゴシックと呼んでいて、そのころ、日本にその用語呼称名称が輸入されたということらしい。

William Gambleとゴシック体
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssd/57/0/57_0_E09/_pdf
この短い論文に1837年、1850年の米国での活字見本があり、そこに明白に「日本でいうゴシック体」が「GOTHIC」と書いてある。

 その後、もっと古い時代の中世後期のゴシック時代の書体や、ドイツ・ゴシックともよばれるドイツの古い活字体と混同しやすいというので、米国での「ゴシック体」という呼称が廃れた。しかし、日本では残った、、、ということのようである。ちなみに韓国でもそういう名称になっているらしいがよくわからない。
 従ってこの書体 East Asian Gothic typefaceという妙な項目名で英文wikipediaに掲載されるということになっている。

 考えてみれば日本の出版社や印刷業者に英米の人が発注する場合、致命的な取り違えが起こる可能性があるわけである。
 この書体の名称は 歴史的にはEgyptianや Grotesque などといろいろな名称で呼ばれた。現在では sans serif が一般的である。名称はともかく、活字としてのこの書体をつくったのは1816年英国の William Caslon IV だそうである。
 Longman DictionaryやOxford など英米の標準的な1冊本の現代英語辞典を読んでも印刷文字としてのGothicは、グーテンベルグ聖書に遡るあの古風なヒゲ文字亀の子文字のことになっている。「日本でのゴシック体」のことではない。
posted by 山科玲児 at 17:16| Comment(0) | 日記

2024年02月21日

人形ばかり

九州国立博物館に寄託されている
田中丸コレクションは九州陶磁の絶品が揃っているが、
なぜか、今回2月11日では、陶磁器人形ばかりだった。
しょっちゅう展示替えはあるんだけどね。
当方は、あまりこういう人形好きじゃないので、損した気分です。

posted by 山科玲児 at 17:01| Comment(0) | 日記

福岡市美術館でカノーヴァ

canova rome fukuoka.JPG


永遠の都ローマ展 福岡市美術館
https://roma2023-24.jp/asset/pdf/list_fukuoka.pdf

カノーヴァは、ナポレオン戦争のイタリアで、ナポレオン軍の略奪の中で、美術品の保護にも腐心したといわれる彫刻家である。
この
パイエーケス人の踊り
は、とにかく美しいからいいいんじゃないの。
時代が新しいし、カノーヴァの彫刻なんていくらでもあるなんて、つまらないこといわないでさ。
posted by 山科玲児 at 16:56| Comment(0) | 日記

バイユーのタペストリー

Bayeux Tapis.JPG

  ノルマン・コンクェストについては、キャロルの「不思議の国のアリス」で、少し出てくるのでそれをきっかけに知った。某動画で、これを「フランスの地方の中小貴族が英国に攻め寄せたら勝ってしまって王様になった」と表現していたが、実際は「ノルマン」であり北欧の「デーン人」である。9世紀後半ごろから南下し、その一部はパリを攻めて大攻城戦(885年-886年)をやったヴァイキングたちの同族である。その一隊がノルマンディーを占領して国をつくり、100年以上あと1066年のノルマン・コンクェストのころは、フランス語を喋るようになるまでフランス化した人々である。しかしもともとヴァイキングだからねえ。戦闘力は高かっただろう。ただ、このノルマン・コンクェストによって、英国の王室貴族はフランス語、下層階級や土豪は英語という言語の分断ができてしまった。これが後々まで英国の歴史に影響することになる。また、英語に多量のフランス語単語が流入しているのも、このせいである。ヘンデルが仕えたジョージ1世は、ドイツ人で英語がしゃべれないという似たような歴史が650年あとにも繰り返されることになる。
 このバイユーのタペストリーは、ノルマン・コンクェストの非常に近い時代にノルマン・コンクェストを描いた図像として、教科書にも引用される一級資料である。なんと全長70メートルもある。バイユーは、ノルマンディーの一角だから、征服戦争をやった連中の故地である。故郷で勝利を誇示したというところだろうか? 上イメージの本はデンマーク語の著作をフランス語に翻訳したものである。やはり、デンマークのほうでは、自分らと同族のバイキングだという意識があるんだなあ。。
しかし、これはタペストリーではない。刺繍である。タペストリーは織物で刺繍とは違う。日本でいうと天寿国曼荼羅繍帳のようなものだ。だからバイユー繍帳またはバイユー刺繍画というほうが正しい。しかし、1724年これを再発見したM. Lancelotが既に「タペストリー」と呼んでしまっていて、250年以上使われた結果、この名前が一般化してしまったのは残念なことである。フランス革命戦争、ヴァンデ戦争の虐殺、恐怖政治という悲惨のなかで、このタペストリーを保護したLambert Leonard-LeForesitierの業績も特筆すべきである。

REF La Tapisserie de Bayeaux  Tapisserie、
Mogens Rud著(デンマーク語)、Eric,Eydouxフランス語訳、Edition Heimdal, Bayeux,1988 (1983の初版があるらしい)
posted by 山科玲児 at 06:21| Comment(0) | 日記

2024年02月20日

雅楽の中の南アジア


  週刊少年ジャンプ12号 「逃げ上手の若君」本郷和人 解説
は「雅楽」だったが、
 ちょっと気になったのは、
「雅楽」には中国や朝鮮だけでなく南方の楽 西方の楽が入っていることを忘れているんじゃないか?という疑問である。
 林邑楽(ヴェトナムの楽)というのもある。
 奈良時代平安時代に日本に入った仏教には南まわりのものもかなりあった。
確か東大寺開眼会の主役だった波羅門僧菩提僊那は南アジアの人だったと思う。
晋の法顕も帰路は南周りの海路だったし、唐僧義浄は往復とも南周りでインドにいった。義浄はインドネシアでの修学を薦めているぐらいである。仏教とともに南アジアの楽も日本にもたらされていたはずだ。

タグ:雅楽
posted by 山科玲児 at 16:48| Comment(0) | 日記