2018年11月15日

米友仁の絵

米友仁.jpg
米法山水のご本家、米友仁の真蹟というのは実に少なく、模写や贋作や作者間違いの作品が大手を振って喧伝されているのは、情けないことである。

そのなかで、実見してがっかりしなかった、まず真蹟とおもわれる
上海博物館の瀟湘図巻のカラー影印(イメージ)を入手した。東方書店に偶然あった。
台湾の三民でも売ってるようだ。
湖北美術出版社  2013年、折り本のようになっている。ほぼ原寸。色再現はよくないが、結構まともな影印でよかった。

東京国立博物館での上海博物館展で、なんどもつくづくと観て以来、再観賞の機会がないのが残念だが、ひどく傷んでいるとはいえ、まず大丈夫なものだと思う。これにはいろいろ面白い問題があるが、それはまた後で。

実見したものでまともなものは大阪市立美術館の小品である。これもまた切り貼り損傷がひどいが
真蹟には違いないようだ。

他でよさそうなのは、メトロポリタン美術館のものかな。
台北國立故宮博物院のものは、上海のもののコピーである疑いがあるが、非常に興味深いもので、全部鑑賞する機会がほしいと思っている。

posted by 山科玲児 at 08:18| Comment(0) | 日記

2018年11月14日

国宝 小川本 真草千字文

真草千字文 (1).JPG


国宝 小川本 真草千字文 
の新しいカラー影印がでたようである。
国宝 小川本 真草千字文  勉誠出版

このサイトにチラシのPDFがあるが、なんかおかしいので. このPDFファイルへのアクセスはお薦めしない。サイト・アクセスは問題なし。

2万円以上、と高い本だが、A3版変形と、かなり大きな本になっていることも気になるところである。大きな本は、使いにくいのだ。
解説は読みたいが、ちょっと手がだせないかな。。
実物観ていないので、影印の精度については、いうことはできない。
それにしても、文化庁ではなく、まだ小川家にあったんだ、と驚きました。

日本でのカラー影印は、たぶん1979年の便利堂のカラーコロタイプ豪華本(イメージ)以来かもしれない。中国では、パクリ風の安いカラー影印があるようだ。上海に貸したとき写真に撮ったものなのかもしれないが、便利堂本のパクリかもしれないね。
勝手に上海博物館の館蔵にしてしまっているところが痛すぎる。
実は、台北 國立故宮博物院の所蔵月儀墨跡も、このシリーズに入っていて、やはり館蔵、、
いいかげんにせいや!

当方は、昔昔、新京極の古本屋で、安く買ってラッキーと思って愛蔵している。
なんせ、定価78,000円という高価なものだったからね。現在の古書価格も決して安くはないようである。箱付きの美本なら10万以上はするようだ。





posted by 山科玲児 at 08:08| Comment(0) | 日記

フランス革命時代のスパイの手紙

ときどき、PDFカタログを案内してくれるパリの古書展の最新案内に、

フランス革命時代のスパイの手紙


というのがあった。 PDF  4.24MB  フランス語

こういうのも、売り物になってるんだなあ。

なんでも、1791年に英国に亡命貴族(エミグレ)になった人なんだが、実は革命政府のスパイ。
その手紙、1794-1800の分が売りに出されたということのようである。

しかしさ、1794年というのは、7月27日(フランス革命暦II年テルミドール9日)にテルミドールの反動 テルミドールのクーデターが起こって、ロベスピエールが処刑された年なんで、スパイさんとしても、かなり困ったんじゃないかな。




posted by 山科玲児 at 07:46| Comment(0) | 日記

2018年11月13日

エール大学の米元章 画

米友仁画を追っていって、ふとひっかかったのが、
エール大学美術館にある 米フツという山水画巻である



まあ、根拠薄弱なんだが、わりとよくできてるほうかな?

米フツの絵というのは珊瑚筆架の簡略なスケッチ一点(北京故宮)しか残っていないので、
どういうのが米フツの絵なのかはわからないというのが現実である。
しかも文献では人物まで描いたことがあるそうだから、米友仁画から創造するのは不適当かもしれない。

このエールの絵は、米友仁画から想像してでっちあげたもののようにみえる。その点、自然な出来なんだが、末尾の米フツの後記がどうも下手すぎる上に、そのあとの2つの跋が皆、同じ人の筆のようである。
その後、洪武14年の李某の観記、弘治の観記あたりからはまともそうなので明前期までは遡れるかもしれない。


posted by 山科玲児 at 11:42| Comment(0) | 日記

米友仁

今、ちょっと北宋末南宋初めの画家:米友仁のこと調べてるんだが、
生没年にも2説あるのがわかった。10年も違う。
1086-1165  or 1074-1151,3

事典や学術論文にも堂々と片方の説だけが書いてあるのには呆れました。
意外に公平だったのが韓国ソウルの中央博物館のサイト;意外だなあ。。

まあね、900年も前の人だから、当たり前といえば当たり前。
源氏物語のころの人だからな。
墓誌銘でも出ないと、なかなか正確なところはわからないものだろう。

また、中国の昔の老人は年齢をむやみに多く言う癖があったので、それも影響しているのかな。。




posted by 山科玲児 at 08:09| Comment(0) | 日記