2019年03月21日

満漢全席と揚州画ぼう録


どうも、NHKなどが悪のりした、満漢全席の献立

熊の掌、ラクダのこぶ、ハクビシン、などですが、典拠が全くないわけではないようです。
北京の宮廷の文書みてもなかなかでてこないのですが、

李斗が書いた揚州画舫録 第4巻 末尾に乾隆帝が南巡したとき、揚州でご一行・百官に饗応したメニューが書いてあります。そして「いわゆる満漢席也」(「満漢全席」ではない)と書いてあります。どうやら、すべてのルーツはこれみたいですね。現在の満漢全席料理につながる清時代の文献は、これしかないようです、唯一無二です、ちょっと頼りなさ過ぎでしょう。

  北京でみつからないものが揚州でみつかる? これは揚州での饗応のときのものだったので、北京の宮廷料理とはいえないかもしれませんねえ?? あるいは、江南の大富豪が想像して饗応したものなんでしょうか?確かに北京のものに比べて魚介類。水産物が多くなっています。
  まあ、面白いからこれにしたのかなあ、本当の宮廷料理じゃ面白くないからね。


早稲田大学のサイトで該当部分の版本の画像があります。


posted by 山科玲児 at 13:01| Comment(0) | 日記

満漢全席  続

Smith Chinese Characteristics.gif



満漢全席・宮廷料理について、昔書いた文章を増補改作して再発表します。なんか、相当な学者インテリでも、テレビ局に惑わされすぎですので。

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台湾旅行のパンフレットであるレストランでやってる満漢全席の広告が のっていた。メニューをみると子豚の丸焼きとかフカ鰭とかいうもので、 高級広東料理にみえる。これが満漢全席か?と疑ってしまったものです。

魯迅の「病後雑談の余」に、子どものころ紹興で「料理屋の看板に「満漢酒席」という 文字をみたことがあった。」という記述がありますから、田舎でも 「満漢」については、あるイメージがあったのでしょう。

本当の宮廷料理とは、どうゆうものだったのだろう。

乾隆帝の食べた献立は文書として残っている(ref  荘吉發,満漢全席)。まず 乾隆帝はフカヒレは嫌いだったので、フカヒレがない。燕巣はやたらと 使われた。そして、肉がやたらと多く 、魚が少ない。宮廷の食料品仕入れ帳簿でも肉:魚介は10:1ぐらいの比である。 蘇州料理は特に好まれたようです。「蘇宴」という名前すら記録されてます。西太后も好んだのが、豚肉とさくらんぼを陶器にいれて長時間弱火で煮た「桜桃肉」 だったそうです。これも蘇州の料理。現在なら断熱調理器を使えばうまくできそうです。西太后の料理も乾隆帝のものに近いもので燕の巣は目立ちますが、フカヒレはめだちません。おまけに古代から有名な「熊の掌」料理もない、少なくとも大きくは書いておりません。そうなると、現在の「満漢全席」とは全く関係がなくなりそうです。逆に「鹿の尾」ってのが入ってます。どうゆう料理にしたんでしょうね。


また、清朝最後の皇帝の弟と結婚した日本婦人がいる。そのかたが書いた宮廷料理 の本( 愛親覚羅浩子,食在宮廷) がある。これも参考になるでしょう。ただ、この本を読んで一番不思議なのは、 「宮廷料理は、皇帝一人のためにつくられるものだ」ということを強調しているのに、 レシピを読むと、10人前分とかいうのがざらにあることです。 これは、同書にある「内務府の腐敗」と関係がありそうです。おそらく下げ渡し下賜で大部分の料理が消費されたのではなかろうか??

図版はSmith(1894)掲載の台所風景です。女料理人が着飾っているのがちょっと おかしいのですが、当時の写真撮影の実状を考えるとスナップショットという わけにはいかないようです。

REF.


愛親覚羅浩子,食在宮廷
荘吉發,満漢全席 故宮文物月刊 No.83 1990/2
槙浩史,中国名菜ものがたり,1978,鎌倉書房
A.H.Smith,Chinese Characteristics, Revised Ed.,1894,NewYork 

posted by 山科玲児 at 09:47| Comment(0) | 日記

満漢全席とマスコミ

「満漢全席」というのは、昭和30年代以降に、マスコミが煽った言葉のようである。

 魯迅の「病後雑談の余」に、子どものころ紹興で「料理屋の看板に『満漢酒席』という 文字をみたことがあった。」という記述があります。

 なんだ、宮廷料理とか豪華絢爛とかいうのと何の関係もないじゃん。単に満州料理と合わせて出す宴席も提供します、ということだろう。魯迅の子供のころは、まだ清朝時代でしょう。太平天国の乱の「長髪族」(チェンマオ)が来るぞ、と脅されて育った人です。紹興にも満州人はいただろうから、そういう需要もあったんだろうなあ。

 田中 静一,一衣帯水―中国料理伝来史, 柴田書店 (1987/10/1)によると、
によると、
>>
  昭和53年10月、日本のテレビ局各社が主催して、香港の國賓大酒楼で、日本の芸能界の知名人10人で2日間に600万円という超高価な満漢全席の料理を食べたことが、日本や台湾、香港などのテレビや新聞に大きく出た。これから日本で満漢全席の話はブームになり、香港や台湾に満漢全席を食べに行く団体旅行が相次いだ。
>>

 なんのことはない、今は使い古された 「テレビ局が流行をつくる」「テレビ局の仕込み」そのものじゃないか?? 

 香港と組んでやった大芝居が大当たりした、ということだったんだろう。

 2002年にはNHKも「完全復元 満漢全席」なんてのを企画したみたいで、豪華で大きなDVDボックスにもなっているそうです。悪のりが過ぎるでしょう。

 こういうショー的、満漢全席は、邸永漢「食は広州にあり」の記述では、昭和31年に香港の美食家たちが 大同酒家でやったのが最初だそうである。2日かけて食べる」という伝説もここからはじまっている。

 どうりで、故宮文物月刊に出てる 清朝宮廷のメニューとは全く違っていておかしいと思っていました。

 満漢全席は、清朝宮廷料理ではありません、テレビ局の創作が一人歩きして暴走したものです。



posted by 山科玲児 at 08:53| Comment(0) | 日記

2019年03月20日

美術館博物館で展覧された文房四宝

呉申伯百老図墨 inkcake.jpg

 日本の美術館博物館でみた文房具が展示された機会としては、昔、根津美術館で開催された徳川美術館の墨という驚くような展覧会は別格だった。

  特別展「筆硯と墨」−尾張徳川家伝承ー昭和63年4月22日〜5月22日

大阪市立美術館でおこなわれた「煎茶」展の一部として文房具が展示されたときはよかったと思う。また、静嘉堂美術館で行われた印材展があるが、あまり記憶に残っていない。目白の永青文庫で見事な竹の筆筒を観たことは未だに記憶している。

 小企画展では、東京国立博物館 東洋館で、硯が多数展示されたことがあったが、あまり良いものではなかったように記憶している。たまに出る呉申伯の墨(イメージ 当方撮影)と、対になった端渓硯だけがまあまあ定番として良いものだと思う。根津美術館でも、名品展の一部として、優秀な古墨が展示されたことがあった。

  台北の國立故宮博物院では、工芸のところで文房具が展示されているようであるが、松花江緑石展(松花石硯特展)がもの凄いものであったが、今はサイトもないようである。
西清硯譜  展などもあったようで、そのときのサイトはある(未見)
http://www.npm.gov.tw/exhbition/cink0003/ink_c1.htm


タグ:文房四宝
posted by 山科玲児 at 07:30| Comment(0) | 日記

2019年03月19日

ノーベル平和賞と悪魔の弁護人

悪魔の弁護人::列聖調査審問検事のことを書いていて、ノーベル平和賞 審議委員会にも、こういう役職が必要な感じがしております。
あまりにいい加減すぎ、利権まみれ過ぎでしょう。

1930年代から、

2017年03月19日  84年前からおかしかったノーベル平和賞
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/179136297.html

に書いたように、おかしな受賞がありました。。

posted by 山科玲児 at 18:30| Comment(0) | 日記