2017年10月15日

モナ・リザの青い空

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名画の秘密 レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》  西村書店
http://www.nishimurashoten.co.jp/book/archives/5035
の第10章にルーブルのモナリザの額縁に覆われた部分では、青い空の色が残っていたということを
指摘していた。これは新発見ではないが、プラドのモナリザ(イメージ)をみると、モナリザの本来の色は
プラドのほうによく残っているといえる。


これは17−18世紀に当時の好みに合わせてレンブラントの肖像画のように黒く背景を塗りつぶしていたので、ケガの功名で背景の色が劣化していないのだろうと推定されている。

16世紀にモナリザに影響を受けた肖像画の背景は皆プラドのもののように青く美しいので、
まあ、正しいのだろうな。
例えば、ラファエロの一角獣を抱く女や、最近ルーブルに入ったマーティエスの聖マグダレーナもそうである(下イメージ)。

プラドのモナリザも、そのうち並ばないといけない人気者になるかもしれないなあ。。

故  フェデリコ=ゼーリが、ルーブルのモナリザは 「汚れすぎている」「クリーニングが必要」と書いていたが、ルーブルとしてはなかなかできないだろうなあ。


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2017年10月14日

モナ・リザの伝世


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名画の秘密 レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》  西村書店
http://www.nishimurashoten.co.jp/book/archives/5035

新しい本なので、
1990年代以降に古文書から発見された3つの事実が書いてありました。
これらは、さすがに古いカタログレゾネには書いてないことですね。ただ、この本はモナリザの同時代の模写の問題は触れていないのが惜しい。

16世紀当時の時系列で並べると、

サライが1518年にフランスからミラノへ発つ前に、フランス王の財務官から「何点かの板絵」の代金として2604リーブルの支払いを受けた。これは異例な高額である。(1999年のパリの国立公文書館での発見)

・1525年に作成された、サライの遺産目録に、「ラ ホンダと呼ばれる女性の肖像」が一点記載され、この「ラ  ホンダ」が斜線で消されていて「ラ ジョコンダと呼ばれる」に書き換えられている。この絵は同じリストにあるダイヤモンドなどの宝石より高い100スキュディ555ソルドという高い評価額になっている。このリストには他に「レダ」が一点、「聖アンナ」が一点あった。(1990年  ミラノ国立古文書館での発見)

・1531年、サライの姉妹のロレンティオーラがアンブロージョ・ダ・ヴィメルカーテに絵画数点を譲渡した。そのなかに「ジョコンダを描いた」絵が含まれている。ただ問題なのはその評価額が非常に低いことである (1998年  ミラノ国立古文書館での発見)

この3つの古文書には様々な想像・推定を誘発させるところがある。

 レオナルドの元愛人・弟子・秘書でもあったサライはカラヴァッジョ風なところがあったらしい。レオナルドは、「盗人、嘘吐き、強情、大食漢」と表現している。また、1524年にミラノで決闘をし、その負傷が原因で死去している。
  そういうサライにとって、フランスの田舎の城館で生活するというのは耐えがたいものではなかったか。その直前は大都市ローマ、その前はやはり都市のミラノだし。だから、病身の老レオナルドとは袂を分かってミラノへ帰ったのだろうが、25年も「仕えていた」から、レオナルドを「異端審問所に告発する」とか言って脅してでも財産をわけてもらったのだろうと思う。

 それらの板絵はフランソワ1世がもともと譲渡を希望していたものではなかろうか。そのことはサライも当然知っていたから、売り込んだのだろうと推定できる。一般には「モナリザ+聖母幼児キリスト聖アンナ+洗礼者ヨハネ」だろうと思われているが、フランソワ1世の嗜好からいうと「レダ」も入っていたんじゃないかなあ、と思うところである。
この2604リーブルというのは「とほうもない金額」だそうだが、当時の1リーブル=数万円?ぐらいの感覚だとして、5000万円〜2億円ぐらい?じゃないかと推定している。

1525年にサライの遺産目録に入っていた絵はひょっとしたら、現在プラドにある作品(イメージ)ではなかろうか?  これは、レオナルドも関与したサライなどレオナルド工房の作品とされているし、サライの所有物であってもおかしくないだろう。 フランソワ1世としてはレオナルド自身が描いたルーブルのモナリザが欲しかったので、2枚目のこちらはいらないと辞退され結局サライのもとに留まったのかもしれない。勿論もう一人の弟子メルティも1520年以降にイタリアに戻っているから、メルティが相続した財産の一部なのかもしれない。なぜならプラドの作品は1666年のスペイン王室目録にも載っている(Inv. Felipe IV, Alcazar de Madrid, 1666. Num. [588].)、十六世紀当時のスペインには、イタリアからの多量の美術品が流入していたようだからだ。

1531年の記録にある絵は、おそらく数多くの模写の一つであろう。


posted by 山科玲児 at 09:22| Comment(0) | 日記

2017年10月13日

最後の晩餐はテンペラなのか

レオナルドダヴィンチの最後の晩餐はミラノの修道院にある壁画なので、

予約しないとみる事はできない。

そうはいっても、10年ぐらい前は修理中だったのだから、予約すればともかく観る事はできるわけだ。

この絵はいったい、どういう技法で描いてあるのだろうか?テンペラか油彩かフレスコか??

一般的には「テンペラ」(フレスコ  セッコ)だとされているようだ。まあ、生乾きの下地に急いで描くフレスコ(フレスコ  ブオノ)でないことは確からしい。

ただ、Petro C. Marani, Leonardo's Last Supper, Electa, 1986, Milanでは、
ワックス入りとか書いてあって、よくわからない。エンコースティック(蜜蝋画?) まさかね?
ただ、火鉢使っていたという伝承があるので、怪しいかもしれない。蜜蝋画は火鉢で蜜蝋溶かすからね。
ただ、強靱な蜜蝋画の割りには傷みがひどいから、やっぱりテンペラなのかなあ。

芸術的評価はともかく、技術的には失敗だったのは確かなようである。制作後数十年で剥落劣化してしまったのだから。

posted by 山科玲児 at 10:07| Comment(0) | 日記

2017年10月12日

レオナルド作品かどうか? 【補足】


  レオナルド  ダヴィンチ 作品とされた? 「救世主(Salvator Mundi)」像 が
11月にニューヨークのクリティーズでオークションされるようである。

ダビンチ「幻の作品」、来月競売=キリスト画、112億円か−NY
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017101100310&g=int
もう、扇情的で軽率な記事で、時事通信にもいやになる。意外に朝日新聞学芸部はまともなので朝日の記事がまたれる。
そして、この件は2011年7月14日にとりあげておいた。
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/46741907.html

こういうふれこみの作品はここ10年でも結構あったように思う。
例えば、2009年にも
https://plaza.rakuten.co.jp/yamashinaReiji/diary/200910160000/
あえて、取り上げることもないかもしれないが騒ぐ人もいるかもしれないので、一応コメントしておく。

まず、基本資料(英文サイト)

金額について煽っているみたいだが、これらの記事を読むと、もともと2011年ごろ、サザビーズのプライベートセールで90億円ぐらい、買った画商がロシアのオルガルヒ(ソ連解体に乗じた新興財閥)Dmitry Rybolovlev に売ったとき、既に1億2千750万米ドル=100億円(当時のレート)ぐらいだったらしいので、どうということもない。むしろ下がっているので、なにかケチがついたのだろうか。

1958年のサザビーズ  オークションでは60米ドルだったものである。
同じような絵が二十点以上もあり、その中でもっとも良い作だということである。
ただ、ベルナルディーノ=リュイーニの作品だって素晴らしいものもあるのだから、質が良いというだけでレオナルド=ダヴィンチ作だとしてしまうのもいかがなものか。

 >一時は英王室の収蔵品だったが、1763年の競売後は1900年まで行方が分からなかった。
と書いてあるが、絵本体に証拠があるわけではない。証拠があれば60ドルのはずないからね。
ただ、文献的にそれらしい絵がチャールズ1世のもとにあり、バッキンガム公爵コレクションの売り立てのときに記述があるというだけである。
技術的に疑問なのはこれはクルミ材に描かれた絵であることだ。イタリアの板絵はだいたいポプラ材である。勿論、クルミ材のイタリア絵画の例も少数ながらあるから、排除はできないけれど疑いポイントである。
基底材のAMSによるC14検査ぐらいはやったほうがいいんじゃないかな。

【補足】 プラド美術館にあるモナリザの模写はレオナルドの工房の中でおそらくレオナルドも下絵などに関与して制作されたものだが、これはクルミ材である。クルミ材という点で疑うのは軽率だった。


posted by 山科玲児 at 08:46| Comment(0) | 日記

2017年10月11日

古玉印の問題

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大阪で古玉印展を、
美術商のギャラリー「現代中国藝術センター」でやるそうです(10月21−27日)

どうも、この夏マカオの美術館で開催した
新見古代玉印と當代篆刻家玉印風格作品邀請展
 2017年7月21日 -- 2017年8月6日 
と関係あるんじゃないかなあ、と思っております。
というのも、マカオの展覧に日本の篆刻の団体  尾崎 蒼石氏などが協力してますから。

ただ、古代の古玉印の真贋問題は全く難しい。古銅印の真贋以上に難しい問題です。
数が少なくて高価で比較が難しいこともあって、難しい。確実な出土例も非常に少ない。小さくて様式の差も少ないので鑑定が難しい、場合によっては不可能。 出土後も色が変わったりしますし。

明清民国時代に製造された玉印も、当然どっさりあるわけで、イメージの玉印「長楽」もそういう新しい時代のものです。
まあ、どうしても疑いが残る分野だと思います。


posted by 山科玲児 at 08:37| Comment(0) | 日記