2019年12月03日

桂林米粉 続

山水屋 桂林米粉 (2).JPG

イメージは博多・福岡 の桂林米粉を出してるお店


桂林米粉の本場 桂林での食べ方を詳細に解説したブログがありますので
紹介いたします。

桂林3 - 最も基本的な桂林米粉の最も基本的な食べ方!
http://blog.livedoor.jp/chijintianxia/archives/1063327.html


なんか、中国の他地域や台北でも似て非なるものを桂林米粉として出しているような気がしております。

posted by 山科玲児 at 20:00| Comment(0) | 日記

桂林米粉

山水屋 桂林米粉 (1).JPG
あるyoutube動画で知って、関心をもってしらべてみたら、かなり詳しいブログがあった。ただ、最初に知ったYouTube動画(日本語)がみつからなくなったのは、惜しいと思っている。

中国美味紀行その66(桂林編)「中国全土で食べられるけど、本場で食べる味はまったくの別物──桂林米粉」
https://securityinsight.jp/others/31-life/2909-171216-bimi-66

中国の他の都市にある桂林ビーフンと本場桂林で食べるものとは
> オーダーの仕方も、味も食べ方も、そして値段も、何もかもが違う
だそうである。

どうも、博多の西新商店街にある

桂林米粉 山水家 (ケイリンコメコ サンスイヤ)

https://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400203/40041774/

が、本場にちかいものを出してくれるようなので、食べにいった。ここで、食べログ を出したのは、どうも桂林米粉 山水家のHPは、危険なウイルスが仕込まれてしまっているようだから、アクセスしないほうが良いからだ。お店のせいではないと思うが残念だ。

上のはビーフン+Cセット(スープ+漬け物+揚げ物 +100円)」というものである。スープが2つあるようなのはそのせい。

 たしかに、薬味やチャーシューが乗ったものをなんどもなんどもかき回してまぜると、タレからエキゾチックな香りが立ち上がってきて、みかけはともかくとてもうまそうになる。汁なし担々麺のようなものであるが、桂林米粉汁なし担々麺以上に混ぜないと全くおいしさがわからない。横についてる漬け物もじゃんじゃんいれるし、テーブルに唐辛子調味料があるのでそれも少し入れて食べる。とてもおなかが空いていたせいか、あっという間にたべてしまい、本場の作法どおりスープをいれて残ったものもすっかり食べてしまった。 ただ、ここのスープはやけに薄味なのは、どうなのかなあ、でも本場でもほとんど塩味つけないスープだそうなので、これが本場と同じということかな。。ただ、本場を知らないと、おかしいと思う客多いだろうなあと感じた。

中国美味紀行その99(日本編21)「東京にも専門店が進出してきてほしい──桂林米粉」
https://securityinsight.jp/others/31-life/3754-190504-bimi-99
>予想していたよりも本場の味に近かった。

でも評価されているように、日本国内では唯一に近い、本場ものに近いもののようである。中国の他都市ですら、なかなか食べられないのだとしたら、希少価値があるだろう。

 ただ、桂林は観光地として有名で日本人は昔からずいぶん訪ねてるはずなのに、この特色のある料理がほとんど知られていないのはなぜなんだろう??

posted by 山科玲児 at 08:16| Comment(0) | 日記

2019年12月02日

三国志  展 と中国書道史

丸都山.JPG


九州国立博物館の三国志  展
https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s56.html

いってきました。

実は

これににちなんで、常設展ギャラリーでやってる
上野コレクション本 三国志写本を観ることが目的だったのですが、。

三国志  展そのものにも、中国書道史的に面白いものが多かったようで、得した気分です。また写真OKなので一杯撮ってきました。木簡や残紙もありました。

なかでも、魏の武将:毌丘倹(かんきゅうけん)が正始6年に作ったと正史に書かれている石碑の断片:丸都山紀功残碑(がんとさん きこう  ざんぴ  イメージ)は、満州の奉天博物館(遼寧省博物館の前身)にあって、中西慶爾 氏が、それだけを目当てに訪ねたというものなので(ref1)、嬉しい誤算でした。

毌丘倹
かんきゅうけん
Guan-qiu Jian; Kuan-ch`iu Chien
[生]?
[没]正元2 (255)
中国,三国時代の魏の官人出身の武将。毌は「ぶ」とも読まれる。明帝に仕え,信頼を得て幽州刺史となり,遼東の公孫氏平定を命じられ,景初2(238)年司馬懿とともに再征して公孫淵を滅ぼした。正始5(244)年,高句麗征伐の命を受けて高句麗の軍を破り,国都丸都城を陥れた。翌年再征して玄菟太守王頎(おうき)に命じて再び高句麗を攻めさせ,王頎の軍は今日の咸興平野を越えて間島にいたった。毌丘倹は帰途その紀功碑を丸都の地に建てたが,20世紀初めその断片が輯安県の板石嶺で発見されたのは有名である。明帝の死後,その後継をめぐって権力者司馬氏と対立して敗れ,暗殺された。



ref1 中西慶爾、書とその風土、木耳社、昭43
posted by 山科玲児 at 07:25| Comment(0) | 日記

2019年12月01日

中国共産党 必死



オーストラリアで亡命申請した中国スパイ「王立強」ですが、

その後、中国当局は、詐欺師 詐欺犯であると主張し、その「情報」「言辞」が信用ならないものであると主張しております。そして、既に  「詐欺」で告発した公文書まで出してきたそうです。ところが、その文書は「王立強」という名前を使っているんですね。「王立強」はオーストラリア亡命のときに使った仮名です。まあこういうとき本名は使わないわな。命かかっているからね。 中国の検察・公安は、亡命後につくった仮名で、それ以前の日付の書類をつくるんですか??  もうタイムマシンでももってるんですかね?? 本名で書類作っちゃまずいことでもあるのかな?? 

さすがに  ニセモノ製造を得意中の得意とする国だけのことは、ありますね。ニセモノ書類で中国共産党政府が必死に「王立強」を叩くということは、「王立強」の証言がそうとう正しくかつ都合が悪いということでしょう。

台湾:自由時報の記事(中文)
https://news.ltn.com.tw/news/politics/breakingnews/2990422

posted by 山科玲児 at 06:32| Comment(0) | 日記

2019年11月30日

オルメカ文明の石彫

historia Mexico10.jpg

 オルメカ文明の遺跡  ラヴェンタが石油開発のために破壊の危機にあるということは、昔々、ちらと聞いた覚えはあるが、それ以後ニュースも出なかった。

芝崎みゆきさんの旅行記によると、破壊は部分的で、メイン部分は免れたということである。

ただ、そういう事態のため、発掘された大きな巨石頭像や モザイク、石彫の大部分は、博物館へ移動されたようである。
 メキシコ・シティーの人類学博物館にもあるのかなあ???
   メキシコ・シティーの人類学博物館
     Museo Nacional de Antropologia
           https://mna.inah.gob.mx/
ただ、大きな巨石頭像の多くはタバスコ州  ビヤエルモサ市の
ラ・ヴェンタ公園博物館に移設されたようである。
https://www.mexicoescultura.com//recinto/65959/en/

入場料:USドルだとしたら、かなり高いね。ペソだとしたら安いけれど。。

  ここ数十年、みた人は皆ここに行っているようだ。オルメカのあの巨大頭については、
マーガレットとご主人の底抜け珍道中(坂田靖子のマンガに)も出ていたが、これはこの公園博物館じゃないかな? ラベンタの現地にはレプリカがあるそうである。

現地にそのままあってほしかったという感じもあるが、どうも、これらの巨石頭像は皆、土の中に埋納されていたもののようだ。とすると、ラヴェンタにあった当時も原初の位置を保っていたわけではないようだ。銅鐸の埋納のようなものだったのだろうか?
  モザイクについては、どちらかというと、原初環境保存のほうが望ましかったかもしれないが、破壊が迫っているという状態ではやむをえなかったか?
 遺跡公園というと、遺跡の場所そのものか、少なくとも近郊出土のものを集めた、というような感じがするが、ここはラヴェンダから100kmも離れていて、ちょっと性格が違うものである。案外、ここにきて、ここがラヴェンタだと勘違いする人もいるかもしれない。

   ハラパの博物館は、オルメカのものを多く集めているようで、サン・ロレンソ出土の巨石頭像はここに集まっているようである。

Museo de Antropologia de Xalapa
https://www.uv.mx/max/
 ここは、カリブ海側のオルメカ文明の遺物がどっさりあるとこのようですね。


また、マヤの長期暦だけは読めるが、ほかの文字が全く読めなかった、ラ・モハラ石碑  la Estela 1 de La Mojarraというのがある。
http://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_namerica_13.html
その原物もこの博物館に所蔵されているようである。

この石碑500字以上の字があるので、読めたという学者もいるが、その解読は間違いだという学者もあり、現代でも一応、未解読文字あつかいのようである。

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posted by 山科玲児 at 17:55| Comment(0) | 日記