2024年02月17日

タペストリーと羊毛


タペストリーが羊毛であるという先入観はどこからきたのだろうか?

実際は、15世紀のタペストリーは絹や亜麻(リネン)を主として金糸銀糸を使うもののようである。コプトのものは、羊毛を横糸に使うこともあるようだが、縦糸には使わない。縦糸は古くは亜麻(リネン)。
絹は既にずっと昔にビザンチンで生産されており、リヨンにも養蚕は伝わったが、それは1560年ごろなので、それ以前は絹糸は、ルッカはじめとするイタリアからの輸入だったようだ。アルノルフィーニがルッカの商人というのは、この絹交易と関係があるかもしれない。
Rogier Almand Weigert,  La Tapisserie et le tapis, P.U.F. 1964, Paris
は、絹、亜麻、金糸銀糸、しかあげていない。。???

英国の羊毛を輸入してネーデルラント(フランドル+オランダ)で毛織物をつくり欧州各地へ輸出するというビジネスモデルが有名だったせいではないだろうか???
フランドルのタペストリーも羊毛に決まっているという先入観ができたのではなかろうか?


posted by 山科玲児 at 10:14| Comment(0) | 日記

2024年02月16日

国連施設の地下にテロリスト本部



国連施設 UNRWA ガザ支局の地下に

テロリスト ハマス の サーバールームがあり、電源やケーブルをすべて国連施設が供給していた、という驚天動地のニュースをイスラエル軍が公開した。

イスラエルの情報戦の可能性もあるが、これはひどい。しかも日本の支援金もここにたくさん流れている。日本はテロ支援国家だったのか??。
へたくそな国際陰謀論もののストーリーみたいだ。嘘だったら、あまりにあからさますぎる。


posted by 山科玲児 at 08:08| Comment(0) | 日記

2024年02月15日

金印 誕生時空論  続2

金印 誕生時空論.jpg

第三章 68p
 そもそも皇帝の印章を線彫りするのか?
 という節で、
 皇帝任命による印綬の下賜という形式なのだから、線彫り はおかしい 
という記述がある。
しかし、それは間違じゃないかと思う。。

 まず、現在博物館などにある官職の青銅印章だが、本来は退任のときは返却するものである。とすると現在、存在しているのがむしろ不思議であろう。 外国人に給付したいわゆる蛮夷印は、漢魏晋時代に制作された印章の絶対量からすると圧倒的少数であるはずなのにもかかわらず、意外に多く残っているのは回収がされなかったからだろう。

  実際私印(個人の氏名印)とくらべると官印(公職印)の残存数はずっと少ないし、なぜか私印より粗略な印も多い。そして 軍隊関係の印が多い。
 これは、前線基地などで急ごしらえした印が多いということだし、戦死したりした将軍や軍の役人の印が戦場に放置されて埋もれたケースが多かったという事情だろう。ニヤなどの西域の軍団基地出土の文書によると、異常なほど細かい官僚事務が軍でも行われていたことが明白である。したがって主立った軍官僚は皆青銅印をもち封泥で文書や荷物を封していたのである。
 現存する青銅官職印に軍官僚のものが多く、一方、役所の廃墟などから出土した封泥は、文官のものが多いという現実は、上のような事情を反映している。
  また、墓に埋葬された官職印は、官職印は、返却しなければいけないという事情を考えると、埋葬用のレプリカも多かっただろうと思う。そのせいで滑石印などの明器用の印が墓から発掘されることがあるし、官職のわりには粗略な印が発掘されることがあるのはレプリカだったからではなかろうか。

そして、公印は都でつくられはるばる輸送されるものばかりではなかった、ということである。そういう各地方都市や軍の後方基地に工房があって製品をつくっていたということであろう。

 したがって、地方官庁制作なら、「線彫り」がどうとかという意識もないだろうし、相手が漢字読めない外国人の場合なら、さして丁寧に文字を彫刻する気にもなれないのではなかろうか??

また、4章 150p
で 日本にある青銅印について
「くさび状たがねの打ち込み技法」があることから
疑っているが、これは前記のような現地制作の印、軍関係の印が多いからだろう。大谷の青銅印は羅振玉
のコレクションであり、北方戦場出土のものが多いそうである。

 第四章は、各印章の精細な観察が写真とともに記述されており、なかなか良いものだった。
 とくに雲南の金印「テン王之印」で「溶接」と図録解説してあったのをそれは蝋型をつないだあとではないかと指摘しているところはいいと思う。こういう小さい金製品で溶接ってとてもかんがえにくい。
 また、印面の拡大をみると魏晋に近づくと天ハツ神シ碑っぽい点画が甚だしくなっていくことが興味深かった。



タグ:金印
posted by 山科玲児 at 18:45| Comment(0) | 日記

キャンバス


山田五郎氏との対談

に好感をもって、
中野京子氏の「名画と建造物」
を借りてきてみた。2023年10月の刊行だから、本当に最新である。
 がっかりしたのは、表紙にもなっているブリューゲルのバベルの塔(ロッテルダム)をキャンバス画と勘違いしているようだ。この絵は日本に2度も来たことがあるのにね。

「キャンバスの下部は」(201P)
「ブリューゲルはキャンバスに鼻をくっつけんばかりにして描いたに違いない。」(202P)
中野先生は18世紀以降の新しい絵画を主に観ているからだろうか?

 これを角川書店の編集者がなぜ訂正できなかったのか不思議である。編集者には、古い西洋絵画に関する関心なんて無いのかもしれない。ルーブルのモナリザだってポプラの板なんだが。。
西洋の古い板絵というものが、2020年代ですら、日本のインテリにはよほど馴染みが無いもののようである。西洋絵画といえばキャンバスに油絵という固定観念の根強いことを実感した。これは「板絵」が気候の違う日本へ輸送展示される場合に損傷する危険があり、20世紀には、あまり日本へは「出張展示」もされなかったという事情もあるのかもしれない。古い時代にはインド洋経由の船舶輸送だから、なおさらであっただろう。
確かに、もと板絵だが板がそったり割れたり虫食いがひどかったりした場合の一つの修理法として、絵の彩色層を剥ぎ取ってキャンバスに移すこともある。ワシントン・ナショナル・ギャラリーのファン・エイク「受胎告知」がそうである。これは「危険な修理」なんだそうだ。このような例は、もとロシアにあった絵画に多い。気候のせいだろうか?? また、ボッテチェルリの「ヴィーナスの誕生」のような古いキャンバス画の例もあるので、キャンバス画だから新しいともいいかねる。
 それでも、日本で美術史に関連した著作の多い著者にして、この間違いはちょっといただけない。
 当方は、中野京子先生の文章はあまり好きではないが、冒頭にのべた山田五郎氏との対談はとても生き生きとして良いと思う。実は一人でスピーチしている動画もみたがあまり良いとは思えなかった。山田五郎氏との対談でこそ最も良い部分を引き出せていると思う。もっと対談をたくさんやって対談本やDVD ダウンロード販売もやって欲しいと思っている。


posted by 山科玲児 at 06:48| Comment(0) | 日記

2024年02月14日

博多でみたカラヴァッジョ

2024年2月11日
に福岡美術館の特別展で、カラヴァッジョの作品を鑑賞した。カピトリーノにある「」である。
静物画の技法で描いたヌードという感じ、、
だから、あまり色っぽさは感じない。
毛皮や植物などは静物画の技法そのものだ。
これは、ローマのデル・モンテ枢機卿邸に出入りしていた頃の作品であろう。そして、ミラノのアンブロージアナにある静物画が、同じ画家の手になるものであると強く意識させるものであった。

なお、カピトリーノは、遙か昔、訪問したときの印象で、歴代ローマ皇帝の彫像を多く集めているところだと言う固定観念を持ち続けていた。そして、彫像からうける印象が歴史を読んでうける印象とかなり違う皇帝がかなりいたことをよく覚えている。
今回、複製とはいえ、コンスタンティノスの巨像断片をみることができたのは良かった。



posted by 山科玲児 at 06:15| Comment(0) | 日記