2019年04月10日

紅豆

紅豆 筆ss.jpg

  筆については、大阪市立東洋陶磁美術館の文房四宝展では豪華な筆管が並ぶのだろう。ポスターも堆朱の筆のようである。変わった筆管というと、広田不孤斎寄贈のセットが東京国立博物館にあることを思いだした。なんども実見したが、最近はあまり展示していないようである。寄贈のときの目録では、26本で、ガラスの筆、べっ甲の筆もあった。どうも、こういう派手な装飾を施した筆はどういう用途に使われたのだろうか?と思ってしまう。
樹下人物堆朱筆(東博サイト)

 実用という意味では穂と穂先が大事なので、筆管は大きさと重さぐらいが問題になるくらいだろう。陶磁器の重い筆管は使いやすいとは思えない。また、古い筆で穂が保存されている例は極少なく、正倉院の大仏開眼用筆ぐらいじゃなかろうか。
宮内庁  正倉院サイト

  他に発掘されたもので穂が保存されていたものは極希だがないことはないし、清朝の宮廷用のものだったら、北京故宮博物院に穂つきのセットが残っていて、昔観た覚えがある。至って素朴で地味なものだった。台北の國立故宮博物院にも、清朝 嵌象牙竹桿百寿字小楷筆 
http://antiquities.npm.gov.tw/Utensils_Page.aspx?ItemId=712881
というのがあるが、かなり地味なものである。また、斗筆という大字を書くための大きな筆もあるが、これもそう装飾的なものではない。皇帝の日常業務は、臣下の上奏文に対して批答を朱の細字で書くことだから、小楷用の筆が要るのは当たり前のことではある。

 当方は、
      徽州曹素功 藝粟斎
   http://sousokou.shop-pro.jp/
  から買った
  紅豆という細い筆(イメージ)を重宝している。
とにかく書きやすいし、価格も高くないので、もう少し買っておきたいと思っている。



posted by 山科玲児 at 10:45| Comment(0) | 日記

書道史逸話の嘘



  ある会合で、鐘元常(151年 - 230年)と韋誕(い たん、179年 - 251年)が 同席していた。韋誕がみせた蔡ヨウ(133年 – 192年)の「筆法」を鐘元常は欲しくてたまらず懇望したが拒絶された。鐘元常は興奮して血を吐き倒れた。曹操が投薬して回復させた。後に韋誕が逝去埋葬されたあと、鐘元常は韋誕の墓をあばき、蔡ヨウの「筆法」を得たという。

  中華民国時代の書林記事(馬宗かく)にも載っている、このまことしやかな逸話は真っ赤な嘘である。鐘元常は韋誕より20年以上前に逝去しているから、韋誕の墓を暴くことなどできない。もはやゾンビーである。どうも人物が逆なのか、まったくの作り話なのかである。志怪小説の類である。さすがに、中田勇次郎先生は、「つくり話だ」と断じている。 中田先生の本によると、もともと晋の虞喜(ぐき)(281-356) の志林30篇に収録された話で、あの板橋三娘子も収録されている北宋初めに編纂された大部な物語集「太平広記」にも収録された「奇談」のようである。晋といえば鐘元常の時代から120年程度しかたっていないのだから、信用してしまいそうであるが、他の歴史資料にある生没年が正しいと仮定するなら、真っ赤な嘘ということになる。
 現在、幕末・明治の西郷隆盛や坂本竜馬の作り話が横行するようなものであろうか??
posted by 山科玲児 at 09:43| Comment(0) | 日記

2019年04月09日

川島公之社長のギャラリートーク



東京アートアンティーク の一環として、繭山龍泉堂の川島さんがギャラリートーク
やるようです。
予約不要・無料
川島公之によるギャラリートーク:
 4月26日(金)・27日(土) 両日15:00〜 於 繭山龍泉堂


東京アートアンティーク公式サイト
https://www.tokyoartantiques.com/
posted by 山科玲児 at 19:31| Comment(0) | 日記

楚石

楚石IMG_3193.JPG


文房四宝展 にちなんで、
楚石
https://reijibook.exblog.jp/28179872/
をアップした。
 地味な上、寿山 青田、などのメジャーな産地じゃないので、文献もあまり詳しく解説しないから。あまり知られていないのだろう。

今回の
大阪市立東洋陶磁美術館の文房四宝展の作品リストには楚石は入っていないようである。


posted by 山科玲児 at 07:52| Comment(0) | 日記

2019年04月08日

パラオと中島敦

中島敦印章 ss.jpg

台湾の蔡英文総統がパラオで 、
「台湾と日本、米国、パラオはインド太平洋戦略において、強固なパートナー関係にあるとの見方を示した」(中央社  フォーカス台湾)

であるが、

 パラオに縁のある文人で一番有名なのは中島敦だろう。上イメージは中島敦全集(昭和34年初版 文治堂書店) に押してあった中島家の印章である。
中島敦は、官吏として、南洋庁の本部があったパラオなどに赴いた、病気療養・転地という意味があったようだが、残された日記・手紙からするとどうもパラオの気候は残念ながらあまりあわなかったようである。
 しかし、現在では教科書にのる山月記、さらに衝撃的な文字禍などを発表公刊した当時に、せいぜい芥川賞候補(それも「光と風と夢」というスティーブンソン伝が候補になった)にしかならなかったということは、芥川賞というのがいかにどうでもよいものであるかということを示している。

  

posted by 山科玲児 at 08:15| Comment(0) | 日記