2019年08月13日

韓国旅行は危険



朝鮮日報 日本語版
>自民党の「クルーズ船観光振興議員連盟」の議員たちは、釜山に寄港するクルーズ船に乗って訪韓する計画を延期した。読売新聞によると、二階俊博幹事長らは31日に金沢を出発し釜山に向かうクルーズ船に乗り、船の釜山寄港中にソウルに行き、韓国側の要人たちと会談することを模索していたが、「身の安全が確保できない」という理由でこれを延期したという。

http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2019081280055


「身の安全が確保できない」って、なんだよ。シリアやソマリアなみに危険だと判断したということか。
 当然、外務省も渡航延期勧告を出さないとね。
posted by 山科玲児 at 10:38| Comment(0) | 日記

19世紀に中国紙は変わった

本阿弥切.jpg




  中国墨が19世紀末に衰退した件を書いたが、紙にも大きな変化があったようです。
  
   今年、4月に書いたものを、再度まとめてみます。

  香港出版で台北で再刊された藝術叢集第11 に収録されている「説箋」という紙のコレクター汪度氏の文章::、

>最近の紙造りの悪いところがある。それは宣紙を尊重することだ。大きな絵画や書は宣紙を使わざるを得ないが、よくないことである。
  宣紙:宣 安徽省の紙だが、安徽省の紙総てをさしているわけではないのは、次の文章によってわかる。

現在の宣紙は古法ではない。いにしえの紙はすべて熟紙(加工紙)であり、墨は滲んでいない。清朝の嘉慶道光以後、書家の包世臣何紹其などが、軟らかい羊毫筆で生紙に書くということを初め、大流行になった。とうとう生紙でないと使わないという風になった。


著者:汪度がこれ書いたのは、1950年代ごろだと推定される。


 確かに、宋元明の名蹟の紙を観察すると、宣紙、それもにじみの多いものに書いたものは少ない。殆どは加工紙・熟紙である。勿論いわゆる生紙に書いたとおもわれるものもないわけではないが、少数派であろう。 そういう加工紙。装飾紙としては、先年、國立故宮博物院で開催された

     宋代花箋
       https://www.npm.edu.tw/zh-tw/Article.aspx?sNo=04009762

のように、遅くとも北宋時代から盛んに製造され輸出されているようで、平安時代に宋から輸入した日本でも本阿弥切(上右イメージ)などに使っている。

ところが、19世紀に、
>清朝の嘉慶道光以後、書家の包世臣何紹其などが、軟らかい羊毫筆で生紙に書くということを初め、大流行になった。

  張 廉卿(1823年 - 1894年)あたりは、にじみを多用していて、日本人の弟子、宮島衛士もその風を伝えている。

  日本の20世紀の書家、とくに漢字書家の人、大家は、ほとんどこの流行に染まっていて「滲み」がなければダメ、「軟らかい羊毫筆」が使えないとダメという思想が深いようにみえる、仮名を書く書家ですらそういう傾向がいくらかあるくらいである。 これを批判すると書家として生きていけないようだ。

Source::  汪度、談箋紙、藝術叢集第11、藝文印書館、台北、1977



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posted by 山科玲児 at 09:34| Comment(0) | 日記

紙と書写

瓜茄1号.JPG


  文房四宝の中の紙の発生については、   
  第2次世界大戦中に山西省で戦病死した、美術史家の 奥村伊久良氏(右は氏の署名)が、の個人雑誌「瓜茄」1号(1935年 5月)(イメージ)に、興味深い仮説・推論を述べている。

  つまり、紙は最初は書写するために開発されたのではない、ということだ。衣服や壁紙障子などのために開発されたという説をだしている。毛織物にたいしてフェルトができたように、絹や麻織物にたいして紙が制作されたという仮説である。
  そして、書写にむくように後に改良された、という推論を書いておられた。
posted by 山科玲児 at 04:26| Comment(0) | 日記

中国墨の衰退と復興

呉申伯百老図墨 inkcake.jpg



中国の墨の歴史について、昨日少し書いたので昔翻訳した文章を紹介したい。
唐墨は、藤原時代末期の夜鶴庭訓抄にも「唐墨が良い」と言われて以来ブランドを誇っていた。
イメージは東京国立博物館にある明末とされる呉申伯の大きな墨である(当方 撮影)。

清末以後カーボンブラックの乱用で劣化した。
その悲惨な事情は墨の大コレクター 葉恭綽(1881-1966)が書いた「墨談」
http://reijiyamashina.sakura.ne.jp/inkyee.htm
で明らかである。
  葉恭綽がこれを書いたのは1950年代香港あたりではなかったかと思うが、その後、更に破滅的になったのが文化大革命時期である。文化大革命直後には、泥の塊のような、もはや墨といえないようなものを生産する惨状になった。
  こういう事情からすると、丁度100年前、1918年生産の古墨でも、質が良くない物だらけということになってしまうのは無理はない。つまり、現在市場にある中国古墨はそうとう古いものでも粗悪品が多いのである。また、1990年代ごろには、実に巧妙な清朝古墨の贋作が多数日本で流通していた。とても手をだせない、と思ったものだ。
 ただし、最近の新しい中国墨には、かなり良いものもあるようだ。


posted by 山科玲児 at 02:02| Comment(0) | 日記

2019年08月12日

研墨石

楽浪 磨墨石と硯破片.jpg



  中国の墨の歴史として、漢時代にはオハジキみたいな錠剤みたいなものが多かったようで、それを石や陶器の板の上で別の小さな石{研墨石}で水と一緒に磨りつぶして墨汁を作っていたようです。また、塊を割って磨りつぶしたりもしたようですね。漢方薬や化粧品みたいな感じですね。たぶん同じような道具から分離したんだろうな。。

   上のイメージは、東京国立博物館にある 研墨石が硯の破片にはりついていたものです(当方  撮影)。楽浪古墳からの出土品だそうですね。
 この研墨石がでなくなるのが西晋ごろ、手で墨をもって硯の上でするようになったのがそのころからのようです。墨がその形なんかに凝るようになったのは、それからだろうな。錠剤じゃこりようがないからね。
 下のイメージは円錐形の研墨石が付属している三足石硯です。後漢とされています。
 長安樊川出土 

P1090599.JPG


Ref.  ヴィジュアル書芸術全集 第10 文房具、雄山閣、1993
posted by 山科玲児 at 09:40| Comment(0) | 日記