2017年04月13日

九州国立博物館のタイ古美術展 続


  展示品の中で,意外なほど青銅像、青銅のものが多かったのに驚きました。
一般には、アンコールのものなどは石像が多いのが普通でしたから。それに青銅のものは腐食があって取り扱いにより注意を要するので、貸し出しに消極的になるでしょうに、今回多量に貸し出していただいたタイの方々に感謝したい。

33 ナーガ上の仏陀坐像スラートターニー県チャイヤー郡ワット・ウィアン伝来シュリーヴィジャヤ様式12世紀末〜
 がまず印象的でした。大きな青銅像です。光背+座のナーガはアンコール風なのに、尊像はどちらかというとタイに近い面長の顔、すらりとした身体で、不思議なものでした、補修はあるのかもしれませんが保存はずいぶん良いようにみえます。


17 仏陀説法図頂板ナコーンパトム県ナコーンチャイシー郡ワット・サイ遺跡出土ドヴァーラヴァティー時代7〜8世紀プラパトムチェーディー国立博物館

は、大きな石なんですが、ユーモアを感じる 異風な作風で、クメール風でもタイ風でもないものを感じます。
総じてドヴァーラヴァティー時代のものはそういう感じがありますね。

一方、クメール風が濃いものもありますが、微妙に違うものを感じます。
37 菩薩立像ブリーラム県ラムプライマート郡ファーイ町プレ・アンコール時代8世紀バンコク国立博物館
38 菩薩頭部ナコーンラーチャシーマー県ノーンスーン郡タノート村プレ・アンコール時代8〜9世紀バンコク国立博物館

純粋にクメール風なのはジャヤバルマン7世肖像風のこれ、
43 観音菩薩立像カンチャナブリー県ムアンシン遺跡出土アンコール時代12世紀末〜13世紀初バンコク国立博物館

  現在のタイの東部はクメールの版図だったのですから、当たり前といえば当たり前です。ただ、タイ政府の意図か意識的にクメール風の美術品を避けて貸し出しているのではないか?と疑いたくなりました。

スコターイ時代のものでは陶磁器の大きなマカラ
60 マカラ像カムペーンペット県ワット・コーンチャイ遺跡出土スコータイ時代15世紀カムペーンペット国立博物館
が印象的でしたし。
下記三点の小さな陶磁器は基準作としてありがたいものでした。ただ、もっとあとのスワンカーロクなんかが展示されていなかったのは残念です。
61 白褐釉刻花瑞鳥唐草文水注
62 鉄絵唐草文水注
63 緑釉蓋付壺

スコターイ時代のものは
51 舎利塔
  をみても錆の具合など前時代と全く違うのがわかります。

また、
57 仏足跡には、細かい線刻があるのですが、みすごさないように、、そうはいってもみにくいので、私も全部は到底鑑賞できませんでした。

  そのあと、アユタヤー時代ですが、
日本人町の頭領が日本に出した手紙の紙が和紙だったのには驚き。和紙をタイまでもってきていたんだ。。。
また、当時の壁画の模写に、日本の僧兵(延暦寺とか、、)が傭兵として参加しているのがあってびっくりです。
まずはこのへんで。。

posted by 山科玲児 at 08:05| Comment(0) | 日記

2017年04月12日

九州国立博物館のタイ古美術展



太宰府の 九州国立博物館のタイ古美術展にいってきました。実は初日には「タイ古典舞踊イベント」があるので無理して休みをとって高速バスで博多までいったわけです。
古典舞踏・音楽の独自性も堪能できましたが、むしろ刺激的だったのは、古代からのタイ美術を私が知らなかったと痛感したことですね。インドシナ半島の中心であり、東南アジアのど真ん中、タイカレーは食べているし、知っているつもりのタイについて無知であったということを知りました。デルフォイの神託みたいですが、こういう経験はありがたいものです。
  どうも、タイの古美術というのは十四世紀スコターイ時代から一変しているようです。それ以前とは別の国別の民族のようですね。そしてスコターイから現在まで、あまりセンスは変わりません。これが私が「タイの様式」「タイの図像」となんとなく触れてきたものに近いものです。この激変はローマ帝国と西ゴート以上に大きい。それも、形だけではなく、青銅の銅質、石材の選び方まで違うのではないか、と思わせて技術的流派まで変わっているようです。

 そして、現在の中華人民共和国南部からタイ族が南下したということになっているようですが、ヴェトナムと違って中華文明の影響を全く感じません。どちらかというとインド圏ですね。勿論華僑の影響でいろいろ入ってはいるんでしょうが周辺的なものだと思います。それでホントにタイ族は南下したのかと疑問に思うくらいです。北上したんじゃないの? なにかかなり確固とした文明技術美意識をもった民族がいきなり移動してきたという感じです。この展示をみてなんとなく思っているのが謎の国シュリービジャヤが絡んでいるのかも?? と感じたものでした。

 じゃ、十四世紀以前はどうかというと、これはかなりヘテロジェーナスであって、古美術という意味ではこっちのほうが面白い。実はアンコールワットのクメール文明の周辺地だったのかな?と従来思っていたのですが、タイ当局の意図(選び方)もあるでしょうがクメール風味は存外に薄い。もっと複雑です。そしシュリービジャヤの影響があるかも、、ただ7,8世紀からの展示になっていたので、これは日本の奈良時代と同じですね。日本の古美術と対照してみたくなりました。


タイ 〜仏の国の輝き〜
九州国立博物館: 平成29年4月11日(火) 6月4日(日)



posted by 山科玲児 at 08:52| Comment(0) | 日記

2017年04月11日

タイ展

太宰府のタイ展にいってきます。


九州国立博物館 特別展「タイ 仏の国の輝き」
  
 会 期:
  平成29年4月11日(火)〜 6月4日(日)
posted by 山科玲児 at 05:43| Comment(0) | 日記

2017年04月10日

西漢 昌邑王墓の論語


去年いろいろニュースが出ていたらしい在位27日で退位したという
昌邑王海昏侯 劉賀墓から「論語」簡がどっさりでたようで、現在存在しない文章もあるようである。
この発掘については、実はOrientationsの最新刊で黄金や青銅器のことを読んで知ったんですが、
西洋人にはあまり文献には興味ないのかな、論語など多くの文献がでているようで、興味深い。
つうか、論語の簡は、定県論語以後はあまり知らなかったので、良いニュースになりそうですね。

 しかし、西漢の 昌邑王って、ムチャクチャ悪口いわれているけど、単に宮廷陰謀に破れただけなんじゃないのかな。 この辺が中国の正史の政治性というか、捏造というかを考慮しないといけないとこなのかな。



posted by 山科玲児 at 11:17| Comment(0) | 日記

墳壇刻石の拓本



友人のそのまた友人が1987年ごろもっていた原拓本の帖(折り本)であり、かなり虫が喰っていました。
 容庚、商承ソなどの見事な小楷の書き込みがいっぱいついていた旧拓でしたが、複製をとらしていただいたものです。そのうちでも曲阜の墳壇刻石は他ではっきりした拓本を観たことが無かったので、あえて紹介してみます。


どうもこの拓本は下記論文で使われたものみたいです(推定)。

居摂墳壇刻石をめぐる若干の問題
萩 信雄
posted by 山科玲児 at 08:16| Comment(0) | 日記