2017年07月30日

装飾写本を観る

パリのBibkioteque Nationalleのサイトで装飾写本を観ることができるよである。

あのトリノ=ミラノ時祷書の連れの
聖母時祷書を観る事ができるようだ。
Très belles Heures de Notre-Dame .  Gallica

 
200p以上の写本の全体を観る事ができるのである。
しかし、これは、ほんとに14世紀的であり、多少イタリア風でもある。

これで、面白いのは、大きな絵がある羊皮紙の裏は空白なことが多いことだ。
絵については、羊皮紙一枚を絵師に委嘱したのだろうか??
また、結果論だが、絵のとこだけCuttingとして切り取った場合でもあまり背面に損害を与えていないということはいえるかもしれない。

また、罫線の位置は結構統一されているので羊皮紙は最初に全部準備されていたということか。
また、こういう本の頁の撮影にはページの羊皮紙を引っ張って伸ばし水平にしないとないといけないので、撮影がめったに行われないというのはもっともだと思う。


posted by 山科玲児 at 19:55| Comment(0) | 日記

英国人がイタリア人にメムリンクの講演



  英国人の英語は日本人には、わかりやすいことが多いものだが、英国人がさらにイタリア人むけに英語で15世紀末の画家ハンス=メムリンクのことを講演している動画があり、さらに聞き取りやすい。相手が外国人だとすると英国人でも、やはりわかりやすく喋ろうとするのだろう。

 これ、ローマでのハンス=メムリンク展の際の講演です。2014年12月17日 クインナーレでの展覧にともなうもので、たぶん会場のそばで開催されたものでしょうね。

  ヴィクトリア=アルバート美術館の研究員の女性Paula Nuttall というかたのようである。

なんか、最初の司会のイタリア人女性のイタリア語もこころなしか聴きやすい気がする。

一方、ベルギーのブリュージュ  グロニンヘン美術館の当時の館長Till Holger Borchert
は、優れた学者だとは思うが、ちょっと英語講演は下手に感じました。
Memling Till Holger Borchert

 研究や展覧会企画は優れていても講演はそれほど上手くないように感じた。

 ところで、 外国での講演でさえ、米国人が米語を喋るのは、なんか聴き取りにくいことも多いので、米国はなんか嫌。費用全部むこう持ちでビジネスで行くんでないと米国には行く気にならないなあ。ESTAとかいうのもめんどくさいしな。


 
  
posted by 山科玲児 at 10:30| Comment(0) | 日記

2017年07月29日

フォークとナイフ


Hapsburg Ano Warshaw.JPGJanBreugel Tase Prado.JPG



フィレンチェのメディチ家からフランス王妃に輿入れした
カトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis、1519年 - 1589年)が、
フランスにナイフとフォークの使い方を広めたという伝説があるようです。

カトリーヌがイタリアの礼儀作法や料理人、レシピをフランスにもちこんだのは、確かでしょうが、
それが今日でいう西洋料理のナイフとフォークの作法だったかどうか、またフランスに受けいれられたのか?
    というのがあやしいのですね。
       なんかこの「伝説」ではカトリーヌがフランス宮廷に来たとたん、フランス宮廷のマナーや料理が一新され、それがその後まで継承されたような印象をうけるんですが、ほんとうかなあ??

  というのも、カトリーヌの百年後、十七世紀後半のフランスで、ノルフィー某が書いて貴族の奥方や令穣向きに出版された礼儀作法書には、

「ロースト肉は大皿からフォークでとり、自分の皿に移してから指で食べること」

と書いてあるそうですからね。
REF, ジャン=フランソワ=ルヴェル、美食の文化史、筑摩書房、1989 p145

 また、これは古文書の典拠がはっきりしないのですが、有名なシェフ  レイモン=オリヴェの著書から、

ルイ十四世(1638-1715)は相変わらず手で食べる癖をやめなかった。そのためにこの頃のテーブルマナーの第一は、手を清潔に保つことであった。モンテーニュは腹が空いて急ぐときは指を噛むことがあったと告白している。

REF.  レイモン=オリヴェ フランス食卓史、人文書院、1980,  78P

ただ、モンテーニュは(1533-1592)ですから、ルイ十四世とは時代が違い過ぎますね。
ただ、この文章はルイ十四世の食卓について書いてある章のなかにでてくるので、そういう逸話はあるのでしょう。またモンテーニュはカトリーヌより一世代若いので、カトリーヌのイタリア作法導入を無視できなかったはずですけど、この状態です。

  その一方、カトリーヌの時代の、イタリアでは食器としてのフォークは、アルプスの北よりずっと早く(14世紀ごろ)から広く用いられていたようです。どうもパスタを食べるのにまず発達普及したみたいですね。
  REF. A.カパッティ M.モンタナーリ、食のイタリア文化史、岩波書店, 2011、p78

  また、教皇ピオ五世の料理人Bartolomeo Scappi (Dumenza, 1500 – Roma, 13 aprile 1577)によると、デザートは金や銀のフォークで食べるものだそうです。この光景は、ヴェロネーゼの大作「カナの結婚」(1563)(ルーブル)にもでています。
 http://www.wga.hu/html/v/veronese/06/2cana.html
このヴェロネーゼはカトリーヌとは同時代ですね。
   REF. マルコ・カルミナーティ, 名画の秘密 ヴェロネーゼ《カナの婚宴》,西村書店,  2015,  56p

   また、直接、フォークで食べている絵を探したんですが、みつけました。
一つは、ワルシャワの国立美術館にある 「ハプスブルグの宴会」です。1596年ごろの無名画家の作品(イメージ左は部分拡大)。もう一つはヤン=ブリューゲル工房?とされる 「味覚, 聴覚、触覚」、1625年、プラド美術館所蔵(イメージ右は部分拡大)
     https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/taste-hearing-and-touch/92488d21-9871-4737-b870-3558ed1ecf1c
    このプラドの「味覚, 聴覚、触覚」が特に重要なのはカキを3叉のフォークで食べているというところです。お菓子やデザートではなくカキなんですね。1625年ごろのイタリアとアントワープではフォークで食べることが上品なことだということになっていたようです。左のハブスブルグの饗宴も三叉のフォークですね。

   どうも口に料理を入れる食器としてのフォークの導入は、通念とは逆に、フランスが一番遅れていたのではないかと思いたくなります。

  勿論、階級や地方差はあったでしょうが。



posted by 山科玲児 at 11:18| Comment(0) | 日記

ブルータス 台湾

BRUTUS 台湾 2017 sss.jpg

 7月25日に言及したように、ブルータスの最新号は台湾特集
    https://magazineworld.jp/brutus/
 この101てのは台北101にかけてんだろうけれど、結構充実しているようなので、酔狂にも書店で買ってみた。
  やはり情報誌というかCMの集まりのような感じではあるが、台湾の新しい店に焦点をあてた取材編輯で、それなりに面白かった。昔から有名なスポットを見事に殆ど全部切り捨てていて、新しい店ばかり紹介しているところが、むしろ思い切りが良いというか爽やかである。勿論、この雑誌の評価が良いかどうかはまた別問題で、どうしようもない店を持ち上げていることもあるかもしれないが、、まあ、そんなにひどい雑誌じゃないんじゃないかな。自分がよく知っている町:私の場合。長崎や神戸や上野やブリュージュなんかの情報誌のとりあげかたをみれば、どの程度信頼できるか/信頼できないかは、自ずからわかる。それでも、台北にはなんどもお世話になっておるし、現在の台湾を覗き込みたいなという思いもあり、 次の号がすぐでるようなので、あとで探し回ったりするのはいやだし、、やむを得ず書店で買ってみました。

 マガジンハウスのサイトで、編集者のコラムがあって、まあ日本人ならみんなそんなに思うかな?
    http://magazineworld.jp/brutus/brutus-editor-851-2/

   基本的には、太古数万年前から、南島沿いに日本列島に来た人々が多いだろうしね。


posted by 山科玲児 at 07:52| Comment(0) | 日記

2017年07月28日

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

gaugin scription.jpg

井田茂先生の、 系外惑星と太陽系 (岩波新書)  の「はじめに」に

フランスの画家ゴーギャンは「われわれはどこからきたのか、われわれは何者なのか、われわれはどこへいくのか」という絵を描いた。このタイトルはしばしば引用されるので、聞いたことがある人も多いであろう。これは聖書の文言からきたのかもしれないが、人類についての問いでもあり、絵を見る自分自身への問いでもある

とある。

   このゴーギャンの大作はボストン美術館にあり、横3,7m高さ1.4mというものだ。2009年のゴーギャン展のとき来日、東京 名古屋で公開されていたようだ。残念ながら観ていない。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか (1896-97)
139.1 × 374.6 cm
http://www.mfa.org/collections/object/where-do-we-come-from-what-are-we-where-are-we-going-32558

実のところ、ゴーギャンの大作そのものより、タイトルのほうが有名になっているようだ。
自筆の文字 タイトルが絵の左上にあるので、イメージにあげてみた。

  この言葉は、実は2世紀に主に小アジア(今のトルコ)で活躍したらしいグノーシス派の教師・思想家 テオドトスの言葉で、それより少し後の人、アレクサンドリアのクレメンス(Titus Flavius Clemens,150年?-215年?)が編集した「テオドトスからの抜き書き集」に収録されている。英訳で引用する。もとはギリシャ語だろうから、ここにあげるのは無理無理。。

Exceptura ex  Theodoto
78章2節
>
But it is not only the washing that is liberating, but the knowledge of/who we were, and what we have become, where we were or where we were placed, whither we hasten, from what we are redeemed, what birth is and what rebirth. '
>
「われわれは何者であったか、また何になったのか。われわれはどこにいたのか、、どこに行こうとしているのか。われわれは何から解き放たれているのか、誕生とは何か、また再生とは何か。」

  ゴーギャンは、どこからこの言葉を知ったのだろう?Wikipedia (日本語版英語版)によると11歳から16歳までオルレアンの神学校に通っていて、その神学校のモットーがこれだったという。モットーをこれにしたのはオルレアン司教Felix Antoine Philibert Dupanloup (3 January 1802 ? 11 October 1878)だというから、この二世紀の異端とされ排撃されたグノーシス派(ヴァレンチノス派)の教師の言葉が、ガチガチのカトリック教会のなかで伝承されてきたということになる。しかもオルレアン司教がモットーにして神学生に教育していた、、これもまた不思議なことだ。

  この言葉は、名言としてやたらと有名な割には、誰の言葉なのか知られていない。あるいはカトリックの中では作者名テオドトスというのは知られたくなかったのかもしれない。

  まあ諺というか名言格言という形で、西洋文明の中での財産知財になっているなら、それでもいいのかもしれない。


posted by 山科玲児 at 07:12| Comment(0) | 日記